10 Years Ago (82) (Japanese)
- CMO #118  ( 25 June 1992 ) -


1992年六月には、火星は「うお座」から「おひつじ座」にあって、午前3時から5時頃にかけて、漸く観測可能となり、視直径も中旬には5.5秒角に達している。生憎梅雨時であったが、南(Mn)氏および中島(Nj)氏が観測に入った。Mn氏は六月1日初観測。博物館は当時改装中で、天体観測準備室の設備も充実する見込みとのこと。南半球夏至直前の火星であるが、南極冠と周囲の暗帯、M CimmeriumS Sabæus等の暗色模様の他、北極雲を観測している。本格的な観測はこれからというところ。

 

 今号では、R J McKIM氏による1992/93年火星接近に関するCircular Letterが紹介されている。BAAの新組織について、観測レポートの体裁について、今期の観測ポイント等。特に火星の雲や北極冠についての注意深い観測を強調している。

 

 ついで「1990 OAA Mars Section Note (6)」では、「観測頻度の分布図の試み」として伊舎堂(Id)氏、岩崎(Iw)氏、日岐(Hk)、南(Mn)氏におけるシーズン中の観測頻度を月毎または半月毎にグラフ化している。天候や観測可能時間により各人共通の結果がみられるが、観測者それぞれの生活状況による違いも見られる。南氏は視直径の推移に合わせてバランス良く観測すること、重要な現象の追跡では全体のバランスを壊してでも数多くの観測が大事であることを述べている。

 

 「夜毎餘言」では、江戸中期における国学の大成者本居宣長の書『うひ山ふみ』から、古學に臨む宣長の姿勢にふれ、ここから示唆されることをMn氏は火星観測に置き換えている。例えば、「よき哥をよまんとするには、數おほくよまずはあるべからず、多くよむには、題なくはあるべからず、これらもおのづから然るべきいきほい也」は「観測は多くしなさい、それもテーマを決めてやりなさい」となる。「書をよむにたヾ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釋をもせんと、こヽろがけて見るときには、・・・格別に心にとまりて、見やうのくわしくなる物にて、・・・又外にも得る事の多きもの也」は「漫然と見ていたのでは、幾ら詳しく見ようとしても、限界があるが、スケッチや記述を心掛けると、よく見えてくる、だからスケッチせよ、メモせよ、更に報告文を書け」という具合になる。しかし、それらのことが主ではなく、人物像の深い分析が本意となっている。

 

 今号は「編集室だより」が掲載されており、『火星通信』の編集が南氏のお母様のご病気により、三国病院の病室で行われている様子が書かれている。南氏の心労は勿論のこと、西田(Ns)氏、Nj氏のご努力が偲ばれる。連載の「日本語講座」は第六回目、LtEには、村上(Mk)氏からのお便りが寄せられている。カンパの氏名リストには、永井靖二氏のお名前があり、氏についての紹介がある。

                        日岐 敏明 (Hk)   


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