2001 Mars CMO Note
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from
CMO #261
2001年大域黄雲の衰退時期
(對1956、1971、1973年黄雲)
2001年六月24日發生の黄雲は稀にみる大域黄雲であったが、その規模を考える上で、どのぐらい壽命を保ったか、その衰退時期を特定するのは一目安であろう。ここでは衰退期を推測し、前例となる大域黄雲と比較してみたい。
然し、カタストロフによる發生時期に比べて、黄雲が衰退するのは、黄雲や對流圏そのものの上下攪乱が落ち着き、安定期を經てからのことであるから、劇的な變化はなく、從って時期を特定するのは容易ではない。而も、地上での觀測は器械やシーイングによっても異なるであろうし、過去と觀測との比較も同一條件ということはあり得ないから、易しくはない。ccd觀測による効果は比較をしようにもの前例がない、など困難があるが、先ず1971年の場合から觀測状況を見ておこう。
1971bの場合:◆1971年の21 Sept (260゚Ls)にノアキスで發生した大黄雲はこれまで最大の黄雲とされている。これを1971b黄雲とする。この黄雲は1956年大黄雲と同じく充分南半球が暖まった頃に發生しているから、今回の黄雲とは本質的な相違があると思われるが、衰退期については幾らか比較が可能であろう。
1971年は10Augが黄經衝、12Augが最接近(δ=24.9")であったから、衝後δ=19.3"になってからの發生であったが、觀測が行き届いている(特に宮本正太郎氏)上、幸いなことに1971年の場合はマリナー九號が活躍したので、たいへん都合が好い。マリナー九號は30Mayに發射され、10Novには八十萬キロまで火星に近附き、テレヴィがスイッチ・オンされたわけである。從って、1971bの後半が好く捉えられているのである。
多分、マリナー九號の結果のもっとの早いレポートの一つは、C B LEOVY (et al 他に六人), The Martian Atmosphere: Mariner 9 Television
Experiment Progress Report, Icarus 17 (1972) 373であるが、これによると十二月第一週に大氣は透明になり始め、十二月下旬には劇的な變化をしたとしている。一月中旬には殆どの模様が見えている。實は彼等の分析は細かい領域に及んでいて、低地ヘッラスの深い部位では晴れるのは當然遅く、その雲の動きを二月末まで追っているようである。テレヴィジョン畫像で大域的には十二月中旬に上下攪拌が安定したとみられる。
W K HARTMAN & M J PRICE, Mars: Clearing of the 1971 Dust Storm,
Icarus 21 (1974) 28では、マリナー九號の畫像1000枚を補正して調べており、地表模様がclear (0.0)からobscured (1.0)まで十一段階に分けて分類した結果、22 Dec (315゚Ls)の二週間前迄には0.9の空域が地表まで降り始めているが、22 Decにはローカルな擾亂があったものか、下降が停止(halt)し、その後急激に大氣は綺麗になっている。從って、22 Dec直後の十二月下旬という目安は好い。
上の結果から1971bの衰退期を十二月末日とすると22 Septから丁度100日になる。一方、B J CONRATH, Thermal
Structure of the Martian Atmosphere during the Dissipation of the Dust Storm of
1971, Icarus 24 (1975) 36では0.3乃至2ヘクトパスカルでの温度變化を追って、上下攪亂の状況を考えているが、2hPaで十二月中旬の220Kから190Kに落ち着くのが六月頃であろう。この論文は黄雲衰退のモデル化の一つであって、このモデルに依れば、黄雲の光学的深さの、半減期は60日となるようである。R W ZUREK, Martian Great Dust Storm: An Update; Icarus 50
(1982) 288もこのCONRATHの60 sol(ソルは火星日)をdecay phaseとして採用している。60日といえば、十一月の下旬となるが、まだマリナー九號が觀測開始して間もないころで、直ぐに温度は降下したようである。然し、眼視的にはfalse clearingと言えそうである。
地球上の觀測で衰退期を丁寧に追っているのは宮本正太郎氏であろう。この年は45cmツァイス機で24 May 1972 (033゚Ls)δ=4.0"まで續け、571回の觀測をこなしている。S MIYAMOTO, Meteorological
Observations of Mars during the 1971 Opposition, Contri. Kwasan & Hida
Obs, Kyoto Univ, No.206 (1972). 宮本氏は十二月後半、火星面がsemi-transparentになり、主な暗色模様は好く見えるようになったとしている。そして18 Jan 1972 (330゚Ls)ω=074゚W (No.514)のスケッチで、Dark surface
clearly visible for the first timeとあるので、眼視觀測の結果としてはこの日を區切りとして好いであろう。この日はシーイングも前後に比べて好い。然し、その後も2001年に見られたようなソリス・ラクス領域での黄塵の亂れは見られるだけでなく、その後のスケッチもモヤモヤとしている。實際に、宮本氏は觀測終了まで、完全に晴れたという結果は出していない。
18 Jan (330゚Ls、δ=7.0")を採り上げると、黄雲の持續期間は約120日ということになる。衰退期は100日から120日と考えて良い。
尚、注意するのは白雲活動で、宮本氏は既に11 Nov (291゚Ls、52日)にω=095゚Wでソリス・ラクス邊りが形を爲さないものの、白いこと、28 Dec (318゚Ls、99日)にはヘッラスの北部が白く明るいこと、6 Jan (323゚Ls、108日)には夕端に沈むマレ・シレヌム邊りが白い事を記述している。黄雲の衰退と共に水蒸氣の活動が復活し始めているということであろう。筆者(Mn)は8 Nov (289゚Ls)にω=073゚Wで南半球夕端が可成り白いこと(ι=43゚)、沈静化が始まっているという觀測である。但し筆者は25 Nov 1971 (299゚Ls、δ=10.5")が最後の觀測で、まだ火星面は朦朧としていた。
もう一點、偏光觀測の結果についてA DOLLFUS, S EBISAWA & E BOWELL, Polarimetric
Analysis of the Martian Dust Storms and Clouds in 1971, Astron. Astrophys. 131
(1984) 123を參照すると、觀測は然程連續していると思わないが、1971bに就いては、2 Dec (302゚Ls)のドルフュス氏の觀測で暗色模様が可成り回復している。379nmでは十二月中に偏光は黄塵のない状態に近附いている。波長が長くなると遅くなり、590nmでは二月の終わりだったようであるが、これは相當低いもので、上の結果と矛盾しない。
2001年黄雲の場合:◆2001年の黄雲は1971bとも季節も違うし、當初激しい動きも無いという意味で特異なのであるが、MGSのTES (Thermal Emission Spectrometer)によると2 July 2001 (發生九日)には全球に亙って温度上昇が見られ、大域黄雲であることが證明されている様に最初から大規模であった。その點では1971bにも遜色がない。一旦、全球的になってからは中緯度赤道帶では季節的要素が減少して、條件は似てくると思われる。
#253、#254のReport #17、#18から言えることは、われわれの觀測からはシュルティス・マイヨルが肉眼で確認された13 Oct (252゚Ls、112日)邊りからが目安である。然し、シヌス・サバエウス邊りの見え方から勘案すると、もう一回りあとの10 Nov (269゚Ls、140日)邊りになるかと思われ、その間を見極めなければならない。既に、24 Oct (259゚Ls、123日)には唐那・派克(DPk)氏のω=023゚W〜040゚Wの像で基本的な暗色模様が見えており、黄雲と沈澱との區別が難しくなってきている。31 Oct (263゚Ls、130日)の熊森(Km)氏のω=074゚W、083゚W像でも相當に暗色模様の濃度は回復している。8/9 Nov (269゚Ls)ω=213゚W〜222゚Wでも暗帶が明確であり、11 Nov (270゚Ls、141日)のAk氏のシュルティス・マイヨル中心の像はIRながら日没相當前から撮影が可能となっている。從って、31 Oct (130日)が好い切れ目かと思う。但し、實は筆者(Mn)の觀測でもこの日もソリス・ラクス領域とアウロラエ・シヌスの間には黄塵が立っているのであるが、これは宮本氏の1971年黄雲の1972年一月後半にも見られることで、大きな攪拌に到らないと考える。
一方、TESの結果でも、温度は全球に亙って30 Nov (160日)では30 Juneよりも冷えてしまう。實際はOctに入ると低温下が顕著になり、Oct半端から中緯度の温度は充分に冷えていて、31 Oct (130日)を切りにするのは好いであろう。中緯度赤道帶の冷えを考えて20日を遡って、110日から130日を衰退期とすることが出來よう。
上の結果は#253のReportで強調したように、水蒸氣の活動の復活とも符合する。詳しくは#253に見られる様に、矢張り十月下旬から白雲、白霧が強く見られるが、120日邊りで水蒸氣が回復したと見ることが出來るのである。
1973年の黄雲:◆1973年は奇妙な年で、いわゆる大黄雲は13 Oct 1973 (300゚Ls)で季節が遅い。然し、この接近ではこの大黄雲に先立ってダエダリア-クラリタスに暗色模様が出ているので、Oct黄雲は1973bではないかという話もある。然し、(あとで附録で述べるように)1973aに相當する大黄雲は知られていない。
以下、一應Oct黄雲を1973年大域黄雲として扱うが、この年はマリナー型の周回船からの觀測結果はない。そこで、先ず、偏光觀測の結果を見てみる。A DOLLFUS, E BOWELL & S EBISAWA, The
Martian Dust Storms of 1973; A Polarimetric Analysis, Astro. &
Astrophys. 134 (1984) 343に據ると、352nm邊りの値ではDec 1973の終わりには黄雲は透明性が増し、Jan1974の半端には綺麗なったとしている。發生以來Dec末で80日、15Janで95日である。
宮本氏の觀測(Meteorological Observations of Mars
during the 1973 Opposition, Contr. Kwasan & Hida Obs, Kyoto Univ. No217, 1974)は全體で679枚に及び、16 June 1974 (063゚Ls)δ=4.9"まで觀測を續行している。この黄雲は大域的ではあったが、模様の濃度は早く回復し始めている。29 Nov (327゚Ls、48日)にはglobal haze以外に黄塵はないとし、4 Dec (330゚Ls、53日)ω=297゚Wではglobal hazeも減少していると記述している。18 Dec (337゚Ls、67日)にはケルベルスも見えている。10 Jan (349゚Ls、90日)ではシヌス・サバエウス-シヌス・メリディアニが綺麗に出ている。17 Jan (353゚Ls)ω=250゚Wではcloud freeとなっている。
筆者(Mn)は17 Janまでの觀測だが、7 Dec (331゚Ls、56日)~14 Dec間シュルティス・マイヨルは正常に見えていた。但し、その後も黄雲は未だ南半球から赤道に掛けて漂っていた。この景色は2001年に換算すると可成り後期のことになる。
以上のことから、1973年黄雲(或いは1973b)は60日から、年末の80日が衰退期と考えて好いと思われる。
1956年黄雲の場合:◆1956年の大黄雲については佐伯恒夫氏の記述がある(『火星とその觀測』1968年)。部分的に解釋におかしな處は幾つも見られるが、グローバルな事實の紀録は最善のものであろう。大黄雲は20 Aug (246゚Ls)にノアキスに發生し、十日間で南半球を取り巻いた。ただ、一部暗色模様は影響を受けていない。10 Sept (22日)には衰退が始まり、雲の分裂・分散が始まり、月末には一應收束の傾向にあったが、月末に見られたノアキス邊りの薄い黄雲が3 Oct (274゚Ls、43日)にはデウカリオニス・レギオに明るい黄塵を引き起こすという形で未だ活動が續いていた。ただ、この黄塵も直ぐ擴散したようで、日本からの觀測は7 Octの宮本氏と福井實信氏が最後で、26 Oct以降下旬に再び見えた頃には消失していた譯である。從って、十月中旬、55日邊りが衰退の完成の目安となる。
宮本氏の本格的な火星觀測が始まったのが1956年であるが、凡氣象的な大域黄雲の出現がその後の觀測の機縁になったようである。當然この黄雲については興味を持って可成り長く論述している(Contr. Kwasan & Hida Obs. Kyoto
Univ. No.71 (1957))。但し、細かな記述と大まかな記述が交差していて、全體の像は不鮮明だが、28 Sept (271゚Ls)にはcloud massは擴散し、シヌス・サバエウスは復元している。衰退期については十月半ばノアキスの邊りは正常に戻っていたという情報があって、佐伯氏のデータと差異はないと思う。
1977a、1977bについて:◆1977年の黄雲はヴァイキングによる觀測で、宮本氏は既に退官されていて、地上からの継續的な觀測は知られていないようである。但し、1977b發生の頃はδ=4.9"と回復していたから、現在の態勢なら觀測は可能であっただろう。1978年の最接近は19 Janδ=14.3"、衝は22 Janであった。
ただ、205゚Ls、274゚Lsの二度の黄雲發生の前後の大氣の光學的深さτについてはかなり詳しく求められている(J B POLLACK et al, Properties and
Effects of Dust Particles Suspended in the Martian Atmosphere, JGR 84 (1979) 2929; T E THORPE, Mars
Atmospheric Opacity Effects Observed in the Northern Hemisphere by Viking
Orbiter Imaging, JGR 86 (1981) 11419)。前者は二機のVLsから空を見て透明度を記録してゆくもので、後者はVOsからの赤とクリア・フィルターでの觀測に據っている。τの増減は兩者よく似ている。黄塵の發生前には略τ=1であるが、到達以降は急速にτ>2になる。然し、頂點に達すると又急速に落ちてくる。
POLLACK et alによると、1977aは16 Feb (205゚Ls)から19 Apr (244゚Ls)まで、1977bは6 June (274゚Ls)から4 Sept (327゚Ls)の間τ=1を越えているようである(4 Septでδ=6.2")。從って、この値をそのまま採用すれば、1977aは63日、1977bは91日の持續期間となる。然し殘念ながら、發生日の特定についても、眼視觀測がないから、その前後關係が難しい。有名な G A BRIGGS, W A BAUM & J BARNES,
JGR 84 (1979) 2795の畫像では、1977bについて、274゚Lsでアルギュレの西に黄塵が出ているのであるが、ここにはその前の268゚Ls (26 May)の畫像では出ていない。從って、その間、26Mayから6Juneの間に出たと考えると、五日ほど早くなるので、1977bは100日近くなる可能性もある。T15での觀測では朝方で272.4゚Lsから273゚Lsで急激に温度上昇が見られる(MBJAKOSKY & Terry Z MARTIN, Icarus 72 (1987)528)ので、然程遠くはないと思われる。Terry MARTIN, Icarus 45 (1981) 427で採用している温度變化から見た光學的深さでは、256゚Lsから273゚Lsまでは觀測値が確かに0.3以下である。その後急激にτが伸びる。ただ、1977aの尻尾のデータしては250゚Lsが最後で、0.4の邊りである。1977aの尻尾として255゚Lsを採用すると7Mayであり、POLLACK 他の1977aの衰退の値を二十七日ほど延長しなければならない。また、1977bの尻尾邊りの觀測値は僅少のであるが、外挿法では、248゚Ls(12Oct)になるので、この場合も三十八日ほど延長される。すると、1977aは90日、1977bは130日程になる。
1977bは1977aのカタストロフが不完全燃焼に終わった爲に引き起こされるが、1977bの方が實は規模が大きかったのである。その割に早く沈静化したのは、1977bを構成していた粒子の粗かった爲と考えられる。黄塵は可成り大きなものであったが、漂う粒子は重力効果をより強く受けたこと、更に季節が遅くなり、北極域からのH2OやCO2の氷着によって降下が速まる傾向があると思われる。尚、1977aは205゚Lsの發生で、2001年黄雲の184゚Lsに近い方で、從って、2002年黄雲には矢張りLsで50゚ぐらいの差で二度目の黄雲が起こり、それを2001bと名附けようと待ち構えていた向きもあったようだが、そういう氣配はなかった事も一つの特長である。
纏 め:◆以上、季節の問題は度外視し、強度も考えないで、黄雲が覆っている期間を基準に並べると、1956年黄雲が55日、1973年黄雲が(60~)80日、1977a黄雲が(63日〜) 90日、1971年が(100日〜)120日、1977bが(90〜)130日、2001年が(110日〜) 130日ということになる。
黄雲に關しては構成粒子のサイズが規模の別の指標であり、1977bが1977aよりも粒子が大きく割合としては速く沈澱乃至清掃されたとされるが、2001年黄雲が長いのは1971年黄雲を構成する粒子よりも細かく、沈澱が遅かったからであろうと思われる。逆に言えば、怒濤型より安定型であったということである。
(附録:1973年前半の黄雲について):◆1973年の大黄雲が13Oct(300゚Ls)からソリス・ラクス領域で發生したことは確かで(日本では栗栖茂さんの14Octが最初であろう。福井では15Octに獨立に氣附いた。これは日本から觀測されたのであるが、ハワイも絶好地で、マウナ・ケア天文臺の224cm鏡が動いている。14 Oct 1973の8:50GMTから12:41 GMTまでの100葉に亙る連續觀測はT B McCORD et
al, Icarus 31 (1977) 293に報告がある)、この年は17 Octが最接近、25 Octが衝(最大δ=21.5")であったから、黄雲だけでなく北極雲の追跡には好都合であった。
それとは別にこの年には既にダエダリア-クラリタスに新しい暗色模様が見えており、これは相當な黄塵の發生に依らなければならないし、確かに1973Oct黄雲前から南半球大陸などは非常にhazyであったのである。新暗斑の検出は宮本氏の24 May 1973 (212゚Ls、δ=8.3"、ω=095゚W)が最初であろう。一回り後の30 June (235゚Ls、δ=10.4")では明確である。この頃の黄塵の記述はR McKIM, Telescopic Martian Dust
Storms: A Narrative and Catalogue, Memoirs. BAA No. 44 (1999)にあるが、22 June 1973以降で、而も餘り好く追跡されていない。
ダエダリアの暗斑については、1) 既に1971年の大黄雲によって起こった、2) 1973に入りMay 1973以前に激しい大黄雲が起こった、3) 大黄雲でなくても強いdust devilによってMay以前に引き起こされた、などの可能性がある。2001年の場合、212゚Lsといえば、Aug 2001中旬であるからダエダリアに變化が既に起こっている。從って2)も3)も可能であろう。
宮本氏の觀測開始は27 Apr 1973 (195゚Ls、δ=7.1")からで、これより早い系統觀測は期待できない。ただ、大澤俊彦氏が可成り前から觀測を開始しているが、筆者はつまびらかにしない。多分もう見極めは不可能だが、1973年の初期の火星全體が靄っていたのは確實で矢張り1973aの存在を想定した方がよいかも知れない。暗色模様の趨勢は2001年型の黄雲よりも、もっと怒濤型の黄塵(必ずしも長期的でなくても好い)に影響されるであろう。尚、DOLLFUS達の1973年の偏光觀測の結果ではOct1973の1973bよりも1973aの方が強かったという印象がある。ただ、彼等の觀測もJuly1973からである。
南 政 次
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