CMO 2001 Mars Report #24
CMO
#261 (25 June 2002) の報告から
OAA東亜天文学会 火星課 『火星通信』
♂・・・・・・・火星は西の空低く去って行ったが(合は12Aug)、最後の觀測を森田行雄(Mo)氏が果敢に以下のように行っている。視直徑δは3.8秒角であるが、ccdでは4秒角で充分觀測開始が可能で、次回は十一月下旬から、ということになる。次回も森田さんの活躍を期待する。
MORITA,
Yukio
森田
行雄
(Mo) 廿日市
Hatsuka-ichi, Hiroshima,
3 Sets of CCD Images (19, 25, 26 May 2002)
f/50×25cm
speculum equipped
with an ST-5C
19
May、26
Mayで、季節はそれぞれ015゚Ls、018゚Lsであった。十一月再會の時には098゚Ls邊りまで進んでいる。中央緯度φはこのMo氏の時點で7゚N~8゚Nであるが、十一月にはφ=22゚Nとなるから、北極冠が好く見えているはずである。
扨て、Mo氏の像は19Mayでω=295゚W、25Mayでω=242゚W、26Mayでω=229゚Wであったが、模様は幽かに見えるものの同定は出來ない。どの光源でも北極冠も不分明である。
♂・・・・・・・追加報告:BAA火星課のディレクター、理査・麥肯(RMk)氏から2001年火星のスケッチの報告が纏めてあった。觀測全部ではなく、選んであるが殆どであろう。黄雲發生時のヨーロッパの觀測は少ないので、フランス(オランダ)のビヴェール(NBv)氏のスケッチと並んで貴重である。觀測日とωは下に記すとおりである。
McKIM,
Richard
J
リチャード・マッキム
(RMk)
ピーターボロ
Peterborough, UK
43 Sets of Drawings (22+,
24+,
29/30 May; 4, 9, 21, 22, 27, 28, 30 June;
1, 3, 4, 6*, 29, 31 July; 10, 13, 29, August; 25, 29 September;
6, 31 October; 13, 19, 26 November; 1, 8, 29 December 2001;
2, 19 January; 14, 28 February 2002)
255, 410×41cm Dall-Kirkham,
140,
350×30cm
spec+,
130,
250×20cm
refractor*
*Petrin Observatory, Prague, Czech Republic
番號はこちらがシートに附けたものであるが、殆どのスケッチには濃度測定が附いている。
1) 22
May 2001(165゚Ls)ω=031゚W, 2)
24 May (167゚Ls)
ω=021゚W,
026゚W,
3)
29/30 May (169゚Ls)ω=303゚W,
314゚W,
4)
4 June (173゚Ls)ω=265゚W,
5)
9 June (176゚Ls)ω=218゚W,
6)
21 June (181゚Ls)ω=087゚W,
7)22
June (182゚Ls)ω=066゚W,
072゚W,
8)
27 June (185゚Ls)ω=018゚W,
9)
28 June (186゚Ls)ω=356゚W,
014゚W,
10)
30 June (187゚Ls)ω=338゚W,
11+12)
1 July (187゚Ls)ω=325゚W,
335゚W, 13)
3 July (189゚Ls)ω=310゚W,
14)
4 July (189゚Ls)ω=301゚W,
15)
6 July (191゚Ls)ω=266゚W,
16)
29 July (204゚Ls)ω=089゚W, 31 July (205゚Ls)ω=048゚W、17)
10 August (211゚Ls)ω=302゚W,
18)
13 August (213゚Ls)ω=276゚W,
282゚W,
19)
29 August (217゚Ls)ω=219゚W, 25)
25 September (240゚Ls)ω=212゚W,
21)
29 September (242゚Ls)ω=169゚W, 22)
6 October (241゚Ls)ω=098゚W,
23)
31 October (263゚Ls)ω=221゚W,
24)
13 November (271゚Ls)ω=088゚W,
25)
19 November (275゚Ls)ω=019゚W, 26)
26 November (280゚Ls)ω=298゚W,
308゚W, 27)
1 December (283゚Ls)ω=275゚W,
288゚W,
28)
8 December (287゚Ls)ω=181゚W,
29)
29 December 2001 (301゚Ls)ω=336゚W, 30)
2 January 2002 (302゚Ls)ω=298゚W,
309゚W,
31)
19 January (312゚Ls)ω=127゚W,
32)
14 February (327゚Ls)ω=246゚W,
33)
28 February 2002 (333゚Ls)ω=104゚W,
129゚W
(
by the use of a 30cm spec 1),
2),
a 41cm DK Cass 3)~14)、16)~33)
and a 20cm Refr (Petrin
Observatory, Czech)
15)).
例えば、4)ではシュルティス・マイヨルは6.5で西部は7、マレ・テュッレヌムも7である。6)ではソリス・ラクス、アウロラエ・シヌスが6.5、南極冠中央は0である。シヌス・メリディアニは8)では6.5、9)では5、10)では5.5、11)では5である。シュルティス・マイヨルも5である。13)ではマレ・セルペンティスが5.5である。14)ではシヌス・サバエウスも殆ど見えない。觀測は20:50から21:30 GMT邊り迄で少し幅が狭いような氣がするが。低いからか。シヌス・メリディアニが問題だったのだが、フロリダの3:00G
MT迄には少し間がある。RMk氏は4
Julyが最後で5
Julyから28
July迄プラハに旅行で滞在している。從って、南極冠朝方のfog/frostについての觀測も意識もない。再開後の17)ではシュルティス・マイヨルは3。ただ、形状も分からない状態。これでは西進、東進も分からない。
我々の觀點から重要な觀測は18)である。マレ・キムメリウムの奇妙な疑似暗斑の動向に就いては#250
p3111(英文はp3109)に1
Julyから12
Augまで纏めてあるが、RMk氏のスケッチは13
Augω=276゚W~282゚Wである。やや濃い模様が出ている(3.75)。22)
6Octも#250p3145で記述したようなソリス・ラクス領域での暗斑を検出しており、九月終わりからDPk氏の14
Oct迄の記録を埋める意味がある。アウロラエ・シヌスとの間の黄塵の流れにも言及している。但し、24)
13 Novでは不分明。25)
19 Novではシヌス・メリディアニ(5.5)やマルガリティフェル・シヌスが明確で正常という判断である。最後の日28Febはδ=4.8"であったが、ω=104゚Wでダエダリアの暗斑邊りが5~6で出ている。
RMk氏のスケッチ四點が J
BAA
112
(2002)
No.3 (June)のp120に出ている。左から、4)、6)、13)、17)に相當する。これはRMk氏の選擇だが、まるでヘッラスで起こって西進した程度の印象を與える。昔の觀測はこういうワンサイドであったということである。
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