北陸・時雨・親不知
★☆今年は早々に寒波が訪れ秋の深まりが早く、各地の紅葉便りは美事な色付きを伝えていた。来る2004年の会議の舞台となる能登・穴水訪問と今期の初観測を目的に、十一月始めに福井を訪ねた。今回はローエルの能登への旅のルートを辿って長野廻りの経路を採った。上田までは馴染みの路であるが、"NOTO"の著述と照らし合わせながら景色を眺めると改めて新鮮なものがあった。碓氷峠越えは長野新幹線の開業以来、信越線の路線が廃線になってローエルが通った旧道とは違って残念である。★☆上田から長野へ出て登りになると、ロ−エルの眺めた黒姫山が雪雲を抱いて真っ白に大きく迫って来た。楽しみにしていた妙高山は霙混じりの天気の彼方で眺めることができず、変化の激しい天気の中を、新井、春日山、直江津と日本海側まで下った。
★☆目的の一つである「親不知の壁書」見学のために親不知駅で途中下車するが、駅前のバス停のダイヤには一日朝昼夕の三本の表示しかない。観光看板には徒歩一時間と案内があるので歩いて向かう。★☆日本海には雲が低くたれ込め、雲底は幾重にも沖に向かって重なっている。風は海から強く、ものの廿分も歩かない内に吹き降りの雨となる。海沿いの国道八号線に沿うのだが、落石避けのトンネルに入って行くと歩道がなくなってしまった。カーブの多いトンネル内の路肩はぬかるんでいて滑る。大型トラックも通る。大変恐い思いをして、這々の体で、いくつかのトンネルを過ぎてやっと前方にMn氏より聞いていた観光ホテルが見えたときには安堵の胸をなで下ろした。★☆ホテルの先は国道もトンネルに入っていき、旧道が別れて海岸沿いの岸壁に沿って続く。旧道には車が入ってこないので静かに旧跡を辿ることが出来る。晴れていれば能登半島の見える四阿を過ぎると懸案の壁書が現れる。「砥如矢如」はローヱルの時代の儘である。他にも彫り込まれた文字がいくつか見えるが、幅三メートルほどの道路の右側は海へ落ち込む断崖で、その下が古の「天嶮の親不知子不知」、打ち寄せる波の音が響く。
★☆旧道をしばらく進むと、直ぐに国道のトンネルの出口と合流して危険な道となる。再び恐い思いをするのは止めて、「砥如矢如」のところまで戻る。余人に出会うこともない静かな道である。ローエルの通過した当時を偲ばせる。雨も小降りとなり雲間から差し込む日光で海に虹が立った。★☆ローエルが一服した団子屋の末が観光ホテルであろうか、この辺りは他に人家は一軒もない。ホテルのレストランで私も昼食を摂る。ここで冷汗と雨で濡れた衣類を着替えてやっと人心地がついた。タクシーの便を尋ねる私に親切なオーナーは車で次の市振駅まで送ってくれるという。半月前にMn氏が泊まった時のことを覚えていて車中での話は弾んだ。歩けば三十分の危険な道のりを僅か五分で走り抜けるが、やはり親不知は天下の難所であるのを実感した。
★☆翌日から三国を基点にNj、Ns、Mn氏と穴水、立山へ出向くが、冬型の天気が続き、晴、俄雨、雷、霰、雪、芦峅では吹雪!の変化の激しい北陸時雨の初体験となった。★☆朝方の晴れ間を待って予定を延ばし、足羽山で2003年火星の初観測を無事にすませた朝、グリフィスの旧跡を見て福井駅を後にした。途中、余呉湖畔を過ぎると、黒姫山とは対照的に青空の明るい光の中に伊吹山が白く雪を抱いて見えてきた。太平洋側へ戻ったわけである。今回の旅は一周行程全線を「鈍行」で無事乗継ぐことができ、想い出に残る一週間となった。
村上 昌己 (Mk)