陸 前 紀 行
九月の下旬に家内の母が住む気仙沼の実家を二十五年ぶりに訪問した。今回は時間の余裕があり車で付近の観光をして思いがけない天文関係との出会いもあった。東北の風情と共に紹介してみようと思う。
気仙沼市は宮城県とはいえ太平洋岸に面した最北の町で、周囲は岩手県に囲まれていて隣接する気仙郡は岩手県に属する。陸中海岸のリアス式海岸の始まりで、北方に大船渡市・釜石市・宮古市と太平洋沿岸の港町が並んでいる。海岸線の景勝は国立公園となっている。気仙沼も湾口に大きな島を配する深い大きな入り江の良港で、さんま・かつおの水揚げが多く、唐桑湾の生牡蠣・フカヒレの生産でも有名な水産基地として栄えている。とはいえ山が迫っていて市街地は小さい。
今回は東北新幹線で「一関」まで行き、北上山地を太平洋岸に抜ける「JR大船渡線」で「気仙沼」まで入った。「大船渡線」は単線で快速が日に三往復運行されている。二両編成のワンマン運転のジーゼルカーが走る。先頭車両の運転席の横に陣取って、車窓から山の中の覆い被る木々の緑のトンネルを次々と通り抜ける風景を楽しんだ。途中で渓谷美の景勝地「猊鼻渓」駅で下車したが、紅葉にはまだ早く観光客もまばらだった。
気仙沼に近くなった頃に左手の山の山頂に鉄塔など一連の施設が見えるのに気付いた。ドームがあるように思えたので注視していると、丸屋根がはっきりしてきた。運転士に尋ねても確答は得られなかったが、あとから天体観測施設であることがわかった。
この山は「室根山」という名山で、海からも遠く見分けられ、漁師の間では気仙沼入港の目印に使われているそうで、八世紀始め天平時代の養老年間の古くから神社が開かれ信仰の対象となっていたという。現在は山頂まで舗装道路があり、翌日古そうな鳥居をくぐって家内の運転で登った。
室根高原は岩手県の大東町・千厩町・室根村にまたがり、バラグライダー発進基地・オートキャンプ場など様々な観光事業が行われていて、「きらら室根山天文台」もその一環の施設のようである。三鷹光機製の50pカセグレン鏡が収められたドームがあり一般公開されていて、昼間は金星などを見せているとのことであった。入場料金を払って見学したが、あまり元気のない担当者が一人で留守番をしていた。週末には夜間観測も実施しているが、予約制で利用人数も少ないとのこと、担当者も毎日夕方には下山してしまうそうで勿体ない限りである。しかも、北国の厳しさで冬場はドームには霧氷が貼り付き道路も凍結するので閉鎖になるとのことであった。
すぐそばの山頂(895m)はツツジの群落に覆われ高い樹もなく展望が開けていて、これから訪ねる予定の複雑な海岸線が目の下に一望に拡がり見事な眺めであった。昼頃まで室根山で時間を過ごしたが、大船渡市の「碁石海岸」を目指して陸前高田市方面へと降りた。海岸沿いの国道は立派で、山を抜けると海岸線の繰り返しでカーブが多い。
突然「気仙隕石落下の地」と書いた小さな看板が現れ、過ぎていった。先を急いでいることもあり、帰りに見学することにする。陸前高田市で昼食を摂り碁石海岸に着いて「大船渡市立博物館」の見学のあと「碁石浜」「雷岩」「穴通磯」など海岸景観を観光して時間を過ごしているうちに帰路に就く時刻になった。沈み急ぐ夕日を眺めながら車を走らせ「気仙隕石」落下の地に戻った。
国道沿いの立派なお寺の門前にある池の畔に石碑が建っていて、「天隕石降落之蹟地」と刻まれている。もう一面の石碑には「嘉永三年(1850年)五月四日払暁雷鳴甚だしく剰へ風がふき電雷にも優る異様の大音響空中にあり黒煙渦巻き一大怪光を放ち四隣を昼の如く皎々と化し非常なる力を以て迅雷の響きを伴いつつ・・」と落下の由来が記されていた。陸前高田市のウエッブページの記載によると、「落下地点は現在の陸前高田市気仙町長円寺境内、 落下時の重量は135kg(現在は106s)、日本最大の石質隕石で、古銅輝石粒隕石と呼ばれる種類の代表的なものです」とある。お寺は海岸線より1qほど内陸であろうか、少しでもずれていれば、海中に落下していたと考えられる。現物は国立科学博物館に展示されている。
翌日は水沢の「旧緯度観測所」を訪ねた。「木村栄記念館」として、当時の建物がそのまま保存されていて古を偲ばせるが、内部の一般公開は火曜日のみのようである。さらに事前に予約が必要とのことで、外側から眺めただけに終わった。水沢に向かう途中には「文福茶釜」伝説のある曹洞宗の古刹「正法寺」にも立ち寄った。福井の永平寺ほどではないが、山深い地に大きな伽藍を構え、多数の修行僧を集める東北の道場であった。
通過していった北上山地はなだらかに山が連なり、山間の田には何処にも黄金色に稲がみのり、日本の秋と郷愁を感じる風景であった。
村上 昌己 (Mk)