第八回CMO惑星觀測者懇談會
2000年9月15〜17日



序 章

 夏の暑さが未だ残る九月15、16、17日、横濱で「第八回CMO惑星觀測者懇談會」が開催された。この懇談會はCMOの主なメンバーの情報交換と交誼の爲に随時開かれるものだが、今回は2001年の火星接近に向けて、早くから關東開催が立案され、CMO Kanagawaの村上昌己(Mk)氏と常間地ひとみ(Ts)さんに依って準備・遂行され、四〜五月の段階で岩崎徹(Iw)氏や比嘉保信(Hg)氏の上京の際に具體化された。七〜八月には、Mk氏とTsさんがロケーションやプログラムの作成に入り、開催一ヶ月前には會場の「神奈川県立青少年センター」の小會議室を確保し、OHPやTVモニターやスクリーンなども豫約された(LtE)。八月末にはMk氏から關東域のCMOメンバーには往復葉書で出缺がアンケートされ、參加者が把握された。
 通常シーズン中の「懇談會」は夜間觀測が中心で講話・懇談は附け足しであるが、今回は火星がない(他の惑星もない) という機會であったので、プログラム重視となった。メインの16日の豫定は最終的に次のように決められた:

 9:00  受附開始

 9:30 開會挨拶                                            村上 昌己

 (午前の部 司会:村上 昌己)
  9:40 講演 1「惑星CCD撮像の實際と問題點」                阿久津 富夫
 10:30 講演 2 「2001年の接近と注目點T」(火星暦を中心に) 西田 昭徳
 11:00  講演 3  「2001年の接近と注目點U」(觀測のポイント)  南 政 次
 11:45 自己紹介  出席者各位
 12:00 昼食休憩 一階「メルヘン」

 (午後の部 司会:南 政 次)
 13:00 講演 4 「前回大接近1986/88年の火星觀測」           中島 守正
 14:00  ティー・ブレーク / 比嘉氏のヴィデオ紹介 
 14:30  講演 5  「CCD撮像と畫像處理--- LRGBを中心に」      岡野 邦彦
 15:30  講演 6 「ディジタルビデオ/カメラ撮像と畫像處理」    比嘉 保信

 16:20 閉會の挨拶                                          南 政 次

 17:00 小パーティ 「メルヘン」
 19:00  歡談會  「ホテル三愛 ラウンジ」


前 編

 沖縄の比嘉(Hg)氏は前日の朝一番の飛行機で那覇を發って、午後には横濱に入られるというので、15日15:00センター一階のレストラン「メルヘン」が集合場所に選ばれた。蒸し暑い日であったが三々五々馴染みの顔が參集した。CMO神奈川のMk氏、Tsさんの他、Hg氏が早くに到着、あと阿久津富夫(Ak)氏、成田廣(Nr)氏、岩崎徹(Iw)氏、石橋力(Is)氏が見えられ、筑波からはフランシス・オジェ(OGER)さんが到着された。
 筆者(Mn)も入れて九人であったが、「メルヘン」には丁度それぐらいの人數をこなすテーブルがあった。以後、ここにはしばしばお世話になった。中島守正(Nk)氏も見えられる豫定であったが、所用が長引いて、晩餐會へ直行すると言うことであった。

 この日の話題は最近の木星土星の畫像とか、Is氏からはハワイのすばる望遠鏡見學の話などが影像ともに出されたが、Mk氏からホット・ニュースとして、前前日13 SeptにリリースされたMGSによる29 Aug 2000 (042゚Ls)の北極冠の近くでの黄塵の影像の話題が提供され、検討された。042゚Lsの北極冠の様子も珍しい。

 19:00からは中華街の「翠香園」で晩餐會が豫定されていたので、適當に紅葉坂から皆で徒歩で移動した(唯一ジヴァンシィ背廣姿のIw氏はタクシーで移動した)。徒歩組はIs氏が案内役になった。「みなとみらい」の高層群を背に、横濱の一寸した小街路に接しながら、公園に出る。横濱スタジアムからコンサートの大音響がしていた。中華街は休日ということで、たいへんな賑わいであった。

 翠香園には、福井で仕事を済ませてから列車に飛び乗った西田昭徳(Ns)氏が新横濱(19:25着)から無事駆け附けたほか、中島守正(Nk)氏が見えられた。Nk氏は同じ佐伯組の古い火星觀測者で、筆者(Mn)は初めてお目に掛かったが個人的には心愉しいことであった。十一人が圓卓を囲んで中華料理を突ついた楽しい話は略すが、Iw氏のCD他に關する超常的な話があった(Ak氏曰く、Iw氏は宇宙人)ことと、オジェさんがシューベルトの「美しき水車小屋の娘」をコ語(母國語は法語)で披露したことだけ紀録しておこう。21:00には散會し、まだ混雜の中華街を三々五々あとにした。Ns氏は櫻木町駅までTsさんが案内した。

 



本 編

 16日には皆さん朝早くからセンターに集結し、上記のプログラム通りに進んだ。Is氏は土曜出勤のために缺席となり、オジェさんも筑波へ帰られたが、この日は講演者の岡野邦彦氏の他、小山田博之氏、長谷川久也氏が出席され、YAAからも車田浩道氏、上戸伸一氏、小山佐枝子氏等が見えられた。最初にMk氏から歡迎の挨拶と1999年の火星の概觀、今度の042゚Lsの黄塵の紹介などがあり、講演に入った。阿久津 富夫(Ak)氏が口火を切った:

 阿久津 富夫(Ak)氏は NTK32cm (F/6.5)鏡(斜鏡18%)に十數年前に切り換え、間断なく惑星觀測を續けているが、1994年からは乳剤から冷却CCDカメラによる撮像観測に移行し、六年經っている。Ak氏はその經験から成果と問題点に言及した。最初はLynxxを使用したが(Lynxxは192×165=31680畫素しかなく、視野が挾い)、現在の主要カメラはTeleris 2 (KAF0400E; Spectra Source Instruments社製:現在閉鎖)で16 bitである。Ak氏の採用する撮像コンビネーションは火星の場合、擴大Fは66 (PJ-11) でフィルターはR、G、B、IR で、 2×2ビニング 齣數は10〜15。これに対し、木星や土星は擴大F32 (PJ-20)で、フィルターはR、G、B、UV、IR、メタンバンド(日本真空光学)、2×2 ビニング10〜15齣となっている。火星はどうしても擴大率が大きくなる。2×2ビニングというのは2×2=4個の畫素を一つの大きな畫素として扱うということで、感度が上昇する他、ゴミの矮小化を齎らす。撮像された畫像は、二階のパソコンへ轉送し、「ステライメージ3」(アストロアーツ)で一次處理をする。各色光で畫像を選別したあとコンポジットする(五〜六齣)。ビニングで粗れてもコンポジットで戻す。最新の「ステライメージ3 」ではコンポジットは自動的で容易になったが、殘念ながら1999年の火星には間に合わなかった。畫像復元とアンシャープマスク處理、トーンバランスの調整、 RGB乃至LRGBでカラー合成し、報告スタイルのフォーマットの作成を行い、プリントしたり、インターネットで配信する、というのがAk氏の一聨の手續きである。

 ここでAk氏は乳剤フィルムの場合と冷却CCDの場合の比較を行ったが、解像度ではTP2415で0.7秒角が最良であったが、冷却CCDの場合適切な處理で0.5秒角まで行けること、乳剤の場合畫面が35×24mmだから、長い焦點距離が必要で、木星の場合F/128で2〜4秒の露出が掛かるのに對し、KAF0400Eではチップは4.6×7.5 mmと小さく、畫角が挾いから逆にF/32で済み、露出も0.1秒に短縮できるなどの違いが大きいこと等。ただ、ピント合わせは通常一眼レフ場合ファインダーで行えるが、CCDの場合パソコン畫面に流さねばならず不便なこともある。ただ後者では、畫像處理・プリントアウトには水處理がない、などは利點。感度曲線には違いがあって、短波長域には通常CCDは弱い。その點、Ak氏はまだTPはB光で威力があると考える。冷却CCDは高い分解能を誇るが、RGB撮像にはいまのところ最小限400Eチップを使っていない様なケースでは短波長域に關して厳しいとAk氏は注意する(他にSony ICX 099ALが好いが、高価なものではSITe社の背面照射のチップは抜群)。一方、赤外領域に感度のピークがあるから、赤外線ブロックフィルター(RGB干渉フィルター)が必要となる。冷却CCDは一般に高分解、高階調で、更に赤外畫像やメタン畫像が容易に得られ、後者は特に木星大氣の高低差を描出するのに有効で、Ak氏は昨年から成功している。

 逆に冷却CCDカメラの問題點を纏めると、まずCCDチップが小さく、惑星の導入・ピント合わせが煩わしいことがある。確認用ルーペなどを考える。取り込み用と畫像處理用の二台のパソコンが理想だが、ケーブルが多くなり邪魔ではある。CCDチップのゴミに悩まされるというケースは多いが、機械シャッターの擦れが原因で、上向きでシャッターを切らない、など初等的な工夫が要る。Ak氏もLynxx以來苦勞した由であるが、Telerisの場合、この一月にゴミ掃除に出した際、シャッターを外して貰った様で、外附けにすることにより擦れたゴミは保護ガラスに落ち、これは掃除が自前で可能なようである。カメラによっては像をパソコンに轉送するのに時間の要するものがあるが、これはRGB合成には向かない。Ak氏は過度な畫像處理はやらないとしているが、これは主觀の入るところで、比嘉(Hg)氏に少しやりすぎではないかと指摘される像もあった。ただ、カラー合成は眼視イメージと違って、強調されていることはAk氏も認めている(あとの岡野氏の講演で再度觸れられる)。
 尚、Ak氏はデジカメで流行っている様な100萬單位の畫素は惑星觀測には必要なく、10萬畫素もあれば充分だという考えである。西田(Ns)氏もAk氏と同意見らしく、次のように試算する: 30cmの分解能を0.4秒、木星の視直徑を50秒角とすると50秒/0.4秒=125、30cmの分解能なら50秒の木星を縱横125のメッシュに區切れば好いということになるが、125×125=15625畫素、この二倍、256メッシュで撮像しても6萬5千畫素、三倍の375メッシュで14萬畫素になる程度、というわけである。火星はその半分である。惑星に限れば300萬畫素は無用の長物というのがご兩人の考えである。但し、導入のしやすさを考えれば畫素が多いのは便利ではある。然し畫像には關係無い。

 

 講演1のあと、「メルヘン」の昼食メニューが配られ、注文がとられた。次いで福井の西田昭徳(Ns)氏が、2001年の火星接近についてその概要を可成り廣い幅で紹介した。OHPを使ったが、原稿の圖表はコピーで豫め配られた。内容については、今後『火星通信』で随時紹介するので、ここでは要約の要約のみである。

 西田 昭徳氏はまず前段で2003年の大接近が、ジャン・ミーウスの計算によれば、ミレニアム大接近であることを指摘した。皆さんに配布手渡されたのは1653年から2202年までの接近表だが、實は紀元0000年後2003年を越す接近は見つからない様である。2003年に次ぐのは2208年で、越すのは2287年のようである。次に、Ns氏は2001年の接近が、最近では1954年、1969年、1986年の接近に似ていることから、様々な角度から比較した。2001年にδ=10"を越えるのは136゚Ls〜250゚Ls邊りだが、同じ季節を1986年の場合、φは南半球にあり、1969年には北半球を彷徨っていたが、今回はその中間になり、ほぼ赤道が地球の「真下に」來る。南寄りの方が最大視直徑は大きくなるので、視直徑も今回は1954年と同じく中間型となり、グラフで示された。Ns氏は更に、2001年の場合の火星の星座間の移り變わりも赤道中心圖で示した(『天文年鑑』では黄道中心)。2001年のグループは、視赤緯が低くなるのが特徴である。1986年程ではないが、-27゚邊り迄は降りるのが辛い。
 筆者(Mn)は身近にいながらNs氏のスピーチを聞くのは初めてであったが、OHPを駆使して見事であった。

 次いで、筆者が續編ということで立った。ここでは詳しい要約はしないが、2001年の觀測案内である。
南 政 次(Mn)説:先ず、火星の觀測は模様の觀測ではなく、模様をとおしての火星の季節の觀測であるから、Lsを常に頭に置くように強調した。例として、(l'Astronomieから引用して) 1986年の海老澤嗣郎氏の136゚Ls、165゚Ls、187゚Lsの三回のヘッラスの觀測をOHPで圖示した。これは略同じ地方時で觀測し、南極冠の顕わになる前後を押さえたものである。2001年の時期配分についても暗示した。南極冠の消長に就いては南半球の春分が重要であり、その時期が2001年の最接近と重なるのであるが、ただ、φの違いにより1986年に比べて、2001年は南極地の觀測が難しいから、注意が必要である、等。1986年には176゚Lsで南極冠内に輝點や蔭が見えている。他の領域の觀測のポイントなどもLsで切って述べた。ところで地方時配分による長期觀測に附随して、日變化を追う事も必要で、それには四十分毎觀測をどの様にすると有効かという話も、地球と火星の自轉周期の差が略四十分であるとの關聨で例示して説いた。

演壇に立って氣附いたことだが、この懇談會の行われた小會議室はcozyで、OHPやTVの設備も結構であった。建物は古いらしいが、この部屋は壁もwoodyで、コの字に並べた机も重厚、椅子も上等で、小人數の集まりには適切であった。昼食前にコの字の順序で、自己紹介が行われた。小山田博之(Oy)氏は新人、長谷川久也(Hs)氏は嘗ての同人である。その後「メルヘン」のいつものテーブルに移動し、昼食會となった。既に各自の注文がTsさんの手によって「メルヘン」へ傳えられている爲、即座に昼食が攝れたという譯である。食後、Nk氏の案内で、數名はセンター前に佇立している「金星凌日(1874年メキシコ隊)」の紀念碑(1974年)を見學に行った。裏面には、錚々たる人たちに交じって、常間地ひとみ(Ts)さんの名が刻まれている。

 

 午後のセッションの司会は筆者となり、きっかり1時から始めた。午後最初(講演4)の講演者は横濱の中島守正(Nk)氏である。氏は1956年には既にノアキス大黄雲の觀測で活躍されていた方で、舊いOAA火星課のメムバーであるから、これは紀念講演として早くからお願いしていたのである。

 中島 守正氏は「私の見た1986年の火星」という1987年にYAAで使われたパンフレットをベースに、當時の觀測姿勢について含蓄のあるお話をされた。1986年は2001年と似た接近であり、Nk氏が可成り力を注いだシーズンでもあった。一つにはNk氏には當時の通説に幾らが疑問があって、それを確かめたいという心構えがあった様である。例えば、1956年にはNk氏は佐伯恆夫説に適う南極冠の最終觀測者として、佐伯氏に認知されていたし、南極點の受熱量を計算して、佐伯説に合理性があるように感じていたらしいが、ヴァイキングの結果によって極冠交替説に疑問を持たれたようである。實際、1986/88年の接近ではこのことが問題になっている。Nk氏はまた暗色模様の所謂季節變化に疑念を持たれていた様である。案外、これはシーイングや接近の度合いによって色相に違いがあるだけではないか、という疑問であり、Nk氏は何故そうした「思い込み」があったかについても考察している。Nk氏は佐伯恆夫氏の古いお弟子さんのお一人で、佐伯氏に好く鼓舞されると同時に、可成り以前から佐伯氏の著書の何ヶ所かに疑義を挾まれていたことが判り、面白かった。Nk氏はエピソードとして1973年に佐伯氏に無視された觀測についても觸れられた。 

 Nk氏の研究熱心を示すものであるが、當時Nk氏は極冠の消長をLsでプロットし、それに附随するであろう現象を書き込んだ表を作っていた(それを今回初めて衆目に披露された)。1986年當時であるからそれ以前のデータであるが、例えば、1971年にダーク・フリンジが現れたLs、不明瞭になった時期、1973年の暗色波の南下の時期、もちろん1956年、1971年、1973年の大黄雲の發生時のLsはプロットされているといった具合である。1975年の局所黄雲も記述されている。筆者には興味深いのは1971年、1973年のヘッラスの北部白雲や、靄現象などのチェックや1971年255゚Lsでの南極冠灰色化などの記載があることである。こうしたことは觀測シーズンの前に數え上げて置くというのはどの觀測者にも必要なことのように思う。2001年接近前にはNk氏はこの表を更に詳しくするという意向をお持ちのようであるから、『火星通信』に原稿としていただく心算である。

 昼食會を早く切り上げたので、ここで、お茶の時間となった。珈琲や紅茶は「メルヘン」から運ばれてきた。TVの大型畫面では比嘉(Hg)氏の1999年のTingaraヴィデオのハイライトが村上(Mk)氏の解説で流された。前もって、Hg氏のヴィデオの火星のデータはMk氏によって纏められタイプされ、配られた。

 次いで、14:30から一時間に亙り岡野邦彦(Ok)氏のお話(講演5)をうかがった。多くがOk氏の講演を拝聴するのは1994年の福井でのOAA總會での機會以來である。

 岡野 邦彦氏はLRGB法の創案者の一人で、ご本人の口からその發想、具體的な方法、問題點などをうかがった譯である。出發は1997年頃からのようである。

 色の合成と云えば加色型のRGBが思い浮かぶが、減色型CYMも可能だし、Labカラーもその一つであって、CYMに黒色で輪郭附けするような四色印刷に似た方法がディープ・スカイや惑星像にも可能ではないか、一つの鮮鋭度の高い綺麗なモノクローム像をボケボケのRGB像に加えるだけで、高S/N、高分解のカラー像が得られるのではないかという譯である。もともと彩色というのは境界が鮮鋭ではない、というか人間の眼は色の境界について鈍感である、というところを衝くわけである。この方法では、從って高畫質のモノクロームの畫像が得られるかどうかで大半が決まる。逆に言えば、RGB法なら三色の高畫質像が必要であるから、更に三倍の勞力や機會が要る、というのに比べたら格段の改善になる。圖式的には方法は次の様になる:いま、鮮鋭度の高いモノクローム(high-Lとする)と普通程度乃至それ以下のRGBカラーが得られたとする。先ず後者のボケボケ像をLab變換する。するとL、a、bに分解されるが、このときLを捨てて、先のhigh-Lと取り替えるのである。實は、aとbの情報(色情報?)は一見粗略で畫像としては可成り暗いそうである。然し、このabとhigh-L像で合成された像は高畫質のカラー像に變身するわけである。但し、high-Lに入っていない模様はabの添附で出て來る譯ではないことに注意する。こうして得られた像がLRGB像と稱えられるのだが、命名はOk氏ともう一人の考案者ダービィ氏との協議で決められたもので、今では世界共通語になっている(もう一つOk氏のディジタル現像という造語も認知されつつある)。

 LRGBでは、RGBの段階で、例えば3×3ビン法で感度を上げることが出来るので、露出時間を切り詰めることが可能で、ディープ・スカイで54分露出が必要であったものを12分に落とせる例があるそうである。惑星では土星でこの方法が大きな成功を収めている。元來カラー乳剤の場合、暗い土星は露出時間が長くて辟易したものだが、今では1秒で可能で、而もL像の締まったものさへ得られれば、土星の色相は地味だから簡單に綺麗な土星像が得られる様で、最近見かけ上上質の土星像がInternetで横行しているのはこれに依っている。ただ、火星についてはまだ確固とした道筋がないようである。それは、high-L像の拵え方が難しいからであろう。RもしくはIR系の像をLとして採用すると、いわゆるB光で顕れるような白色雲の痕跡が殘らないからである。逆に言うと、模様と色が鮮明であればいいと云うので、締まりの好いR系の像をLとして作られた出來星の火星のLRGB像が持て囃されるようになっては適わないことである。ディジタル・カメラ系の像にそういうものがないとは限らない。Ok氏はL像にB像を重ねる方法や、色温度變換(CC)フィルターで色温度を上げる方法を考えていられる様である。Ok氏の案ではケンコーのC4が候補だが、ラッテンでは82A程度であろうか。何れにしても、火星の場合はB光の拾い方が重要で、誤魔化しが利かないのだが、市販のものでは拙いものが多い。今のところ400Eチップ程度で工夫しなければならない。ST-5Cは価格の割りにreasonableだそうである。ただ、CCDチップの背面から照射する型のSITe社のものは、裏面の研磨に工夫があり、感度も大幅に高く、特に紫外光感度は抜群に好く、Eチップの倍以上の感度がある由。Ok氏はBack-illuminated UV2ARが今のところ最良と考えている様である(他に少し紫外域で違いがあるが、背面照射型のStd ARもSITe社)。LRGBでは、雲の他に對象がカラフルで色が極端に變化するのは困るようで、そういう場合もCCフィルターを使うようだが、火星は雲も含めて然程カラフルではないと思う。

 2001年は火星の水平高度が低いということで、Ok氏は「大氣差キャンセル用プリズム」についても觸れた。CCDでも波長による色分散は困る譯である。例えばエドモンド・ジャパン社では頂角が1度、2度、4度とその組み合わせが可能なプリズムを販賣するようである。更にOk氏は最後の方でAO (補償光学:シンチレーション補正装置)についても述べた。SBIG社が販賣しているAO-7等がそれで、ST-7E、ST-8E、ST-9Eに對應する。この三製品にはメインのCCDチップの他にガイド用CCDチップが附属していて、AO-7はこのガイド用チップから揺らぎを検出してミラーを微妙に動かし補正する様になっているらしい。星野の場合はガイド用チップに近くの恒星を入れて揺らぎを判断させるが、惑星では今のところ木星の衛星をガイド用に導入する場合のみ可能な様だが、Ok氏はAOに将來性があると見ている様である。

 順序は前後するが、Ok氏は写真像での色再現について少し詳しい主張を行った。これは、前回福井の集會の折り、Ok氏のCCDによる木星像の色合いについて眼視觀測者側からrealでないという難詰があったことに對するOk氏の回答であろうと思う。今回の話は、詳しくは略すが、可成りの考察に基づいていて妥當なところであった。色は色温度なり、波長に分解し得ても、認識する側の分解力の不足(その爲にRGBの加色混合が可能なのだが)により、色空間でずれが起こるという譯である。實際にそういう研究が成されているそうで、假に蒼い空と緑の草原と磚の建物があったとき、人間の眼はrealな色温度と違った青なり緑のところで色を解釋する。見慣れないレンガ色ともなれば混亂という結果が出ている様で、簡單に云えば、好みのところへずらして仕舞うそうである。それが單に個人差でなく、共通に起こり得る平均的なずれなら、例えば、フジやコニカのフィルム屋さんはrealな色温度でなく、preferredな色温度を「再現」する様に乳剤を案配するであろう、というわけである。だからrealな色合いの再現というのはどうも意味がないと言える。

 然し、我々はどのような蒼い空を好みとするかというのはたいへん面白い問題で、モンゴル人と東京の人間では違うかも知れない。それは實際の空の色温度が違うと云うことではなく、どの色温度によって民族の心理の安寧が得られるかというのは、矢張り處が換われば變わるであろうからである。ただ、色は適當で好いというものではない。例えば、「私」(Mn)が長く火星と附き合えたのは、火星の赤い色に魅惑されていたことに依る。この心理的な色は多分火星の砂漠のrealな色の再現では無いであろう。然し、「私」にはどうにも缺かせないpreferableなものであって、火星像の色はそれを想起させるものであって欲しいと願うのである。だから、現在のディジタルカメラによる出來星火星のカラー像などは駕を枉げてまで鼻を引っ掛けるつもりもないし、雲による色合いの變化など再現どころの話ではない。逆に言えば、火星の色再現については、未だその段階でもないというところである。ただ、木星の様にカラフルになると、議論の起きるところであって、この點については仲間内で?、大いに議論してお互いにpreferableな色合いを決めて行く様にしたらよいと思う。

 Ok氏のこの日のお話は單にCCDというものに表面的に關わるのではなく、裏側から可能性を開鑿している様な趣きがあり、平生火星表面の模様だとか氣象など極く平盤な事しか考えていないような筆者(Mn)にとっては、もともとの發想を斜めから斬り裂いて見せて貰ったという様な爽快さがあって、久しぶりに知的な興奮を覺えるものであった。キッカリ一時間の講演であった。

 續いて、豫定通り比嘉保信(Hg)氏の講演6に入った。Hg氏はいつもの帽子スタイルで、お顔が艶々してお元気そうに見えた。

 比嘉 保信氏は先ず、2003年の大接近の火星をCMOの同人と沖縄で合同觀測する案についてのアンケートを配られた。參加や時期、望遠鏡持ち込み等について、Hg氏は手始めに今回の參加者に諮った譯である。Hg氏は沖縄の氣象について語られたが、那覇近邊の夏に限っても可成り局所的に複雜であって、觀測場所の選定は難しい様である。もう一つは必要な數臺のポータブルな望遠鏡をどう調達するかという問題がある。公設の施設も適當な處があるようだが、ミレニアム大接近で、我々が獨占出來るとは限らないからである。後者の懸念では寧ろ2001年の方が好ましいと思う、というのは筆者(Mn)の意見。

 Hg氏のお話のメインのテーマは、ソニーのディジタルヴィデオカメラによる静止像と最新のディジタルカメラによる像との比較である。Hg氏はカシオのQV-8000SXをお使いであったが、この五月にニコンのCOOLPIX990 (畫素:2048×1536、CCDチップ:11.3mm×8.5mm、8 bit (256階調)、感度: ISO100相當)を入手され、これで最近木星を試寫されているようである。カシオの段階では、風景写真はちょっと白昼夢というか、ハイライトが跳び(森山大道好みというか)、人間の顔には輪郭だけがあるような感じでクセがあるが、ニコンの300萬畫素での風景人物写真ではもう銀塩写真ほどの自然さが出ている。人の顔も頬の膨らみ等がナチュラルである。ディジタルカメラ(デジカメ)が写真の世界で普通のカメラを凌駕するのも近いであろう。然し、惑星觀測ではどうであろうか。300萬というのが惑星に關して餘り意味がないだろうということの他、單觀測の場合8 bitには不滿が殘る。Nikon D1は12 bit (4096階調)であるから、これも将來の改善を待つことになる。

 扨て、Hg氏の比較であるが、木星像では、同じく8 bitのソニー・ヴィデオの静止像は木星の内部はニュアンスに富む様に見えるが、周邊部の描冩がニコン・デジカメの像に比べて落ちる由である。確かにニコンの像では、NEBなどより周邊部まで濃く出ている。ただ、これは觀測上、どれ程の違いになるか判らない。こうした違いは、工場側の動畫に對するプリンシプルと静止像に對するそれの違いから來る畫像の違いかも知れないという指摘もあった。

 Hg氏にとっては動畫を止めるという煩わしさを考えれば、デジカメは相當に便利であるようで、寧ろ特別な缺陥が見つからなければHg氏は300萬畫素に切り替える豫定の由。ただ、ヴィデオの場合、テープから後で必要に應じて四十分毎の火星像を切り出すという長所があった譯であるが、デジカメ觀測になれば、觀測時刻を豫め選んで規則正しく長くシャッターを切らねばならず、Hg氏の觀測スタイルが變わってしまう可能性がある。今一つ、作業の面倒さはコンポジットにもあるが、Hg氏はMac派なので差し當たり「ステライメージ3」が使えないという難も殘る。最後に、ニコンのチップのB領域での感度曲線がどうなっているか、は今後の問題である(火星の像が未だ無い)。Hg氏の火星のヴィデオ像がデータとして優れていたのはソニーの3 CCDチップの感度が、寧ろ500nm邊りにピークを持っており、300nmにまで延びている爲、白雲の描冩に優れていたからである。8 bitという短所を補うのはこれであるから、300萬ニコンのハードルはこの點にある。

 16:30にはプログラムは豫定通り、會場はそのまま翌日の爲に締め切った。ただ、常間地(Ts)さんやYAAの人達には後片附けなどで迷惑を掛けた。尚、村上(Mk)氏はこの日火星に関する最近の資料の他、佐伯恆夫氏研磨の20cm鏡や『宮本正太郎論文集』(CMO佐藤健文庫)等を會場に展示していた。佐藤文庫の内、宮本論文集はNk氏に、(Hg氏が沖縄から持參した)ムーア譯のアントニアディの本はTs氏にバトンタッチされた。
閉會の前後頃に廣島の森田行雄(Mo)氏からセンターに電話が入り、診療が終わったので、これから新幹線に飛び乗るという連絡が入った(Mk氏)。

 引き續き17:00から二時間、階下の「メルヘン」別室?でビールによる小パーティーが行われた。YAAの上戸氏が參加されたのは感謝である。小山田氏は先の皆既月食は富士山の近くで快晴に惠まれた様で、澤山の写真を拝見した。

 Nk氏が面白い話を披露された:ウェルズの「火星人襲來」の放送がアメリカでパニックを起こしたのが1938年十月31日だったそうであるが、Nk氏が誕生したのは翌日だったから、私は火星人だというものである。どうもアメリカに降りたのでは拙いから日本へ來たという事のようで、どうもこの話を聞いてから、Nk氏が火星人に見えるから不思議である。

 この日は横濱は雷雨であった。Ns氏は翌日日曜出勤の爲に午後7時には横濱を離れなければならなかったのだが、もっと天候が荒れて新幹線が完全に止まればもう一日殘れるのにと期待していた。然し、中途半端な雨で、Ns氏は独り雨の中を櫻木町駅へ向かった。後で話を聞くと、地下鐵も何かの理由で遅れ、新横濱へやっと辿り着くと、今度は新幹線が雨で早々と見合わせ、結局四十分遅れ、お蔭で米原では聨絡が附かず、挙げ句二時間近く待たされ、金津の自宅着は夜半を大きく過ぎたようである。
 Mo氏も同時刻逆方向の新幹線で雨で遅れ、19:00近くになってやっと櫻木町駅からTs氏の携帯に聨絡が入った。そこで、第二會場の「三愛」に移動することになり、Mk氏が雨の中Mo氏を迎えに紅葉坂を降りた。

 「三愛」(櫻木町駅に近い)のラウンジの大きなテーブルにMo氏をCCD組のAk氏とHg氏が挾む形で落ち着き歡迎した。静かで氣持ちの好いところであった。Mo氏は夕食、我々はお茶という感じで、歡談が續いた。

 Mo氏は1999年フィルムからCCDへの切り替えに戸惑いがあったのだが(Hg氏の觀察では銀塩写真での成功者は轉換が難しいでしょうということである、Hg氏自身は非銀塩派であった爲にCCDVideoに早く移れた由)、2001年はST-5Cで乗り切る様である。畫像處理の細かい會話は筆者(Mn)にはトレース出來ないが、CCD派は矢張りときどき像を持ち寄って會合する方がよいと思う。Ak氏の1999年の大量の木星像のファイルはここでも全部披露された。筆者(Mn)の印象ではAk氏は周期的に秀逸な像を得ているが、詳細に亙る尋常ならざる木星模様の抉り方を見ると、これは火星では味わえないスリルである筈で、木星にハマルのも解る氣がした。メタンバンドによる像もそれこそrealな色合いではないが、意味がハッキリしているから今後普及するだろう。Mo氏も既にLRGBで好い土星像を得ているが、他でもこうしたことがCCD觀測への突破口になると思われる。Nk氏のお話も含めてこの宵も多岐にわたったが、21時過ぎに散會した。「音楽通り」を通って櫻木町駅に出る。

 



終 章

 最終日は午前だけ會場が確保されていた。9:00開場、早いNr氏、Ak氏組をはじめ三々五々集まり、9:30から開始された。先ずMo氏の爲に、前日のNs・Mnの話とNk氏の講話が要約された。手前味噌ながら、何度聞いても好い話である。

 次いで、岩 崎 徹(Iw)氏が發言した。二點あり、一つは所謂朝霧を被ったシュルティス・マイヨルの色の形容として、「淺葱色」よりもっと適切な色と名稱があるのではないかという提案である。多分ギリシャの緑とか緑青(ロクショウ)に近い色だと思うが、部厚な色見本で示された。色見本で見る限り、Iw氏の感覺で好いと思う。ただ、色合いに幅があり得るので、その邊りを調べて欲しい。

 第二點は、1984年のIw-055Dのスケッチを示されて(Iw氏のスケッチ數は二千を越えているそうであるから、これはホンの初期のものである) 、そのヘスペリアのスケッチに就いて、當時(十五年も前である)筆者(Mn)から、ヘスペリアって、イタリアのことやで、これイタリアの長靴に似てへんやないか?と非難されたそうである(筆者は憶えていない)。Iw氏は同時に1986年の『火星通信』の挿畫を示して、その比較からIw氏の1984年の觀測はヘスペリアの入り口の明部を正しく描冩しているという主張である。多分12.5cmの觀測では奥の方は見難いだろうからIw氏が正しいだろう。尚、ヘスペリアであるが、もともとは西方という意味で、ギリシャから見てイタリアが相當するのであるが、ローマ人から見るとスペインが西でヘスペリアになる。また、エチオピアからみるとアフリカの西、カナリー諸島邊りがヘスペリアになるわけである。誠に心許ない。スキアパレルリはアドリア海(マレ・ハドリアクム)とチュレニー海(マレ・テュッレヌム)に挾まれたアウソニアをイタリアとしていたであろうから(アウソニアはギリシャに属さないアペニン半島の部分)、ヘスペリアは航海族キムメリア人が陽の沈むところと思っているカナリー諸島邊りというのが當たるかも知れない。

 最後は阿久津 富夫(Ak)氏によるPCでの畫像處理の實演であった。特に「ステライメージ3」によるコンポジット法は壓巻であった。Ak氏に依れば百枚あっても瞬時だと云うことであった。Ak氏の1999年の火星はコンポジットで苦勞しているので、これをやって貰おうと思ったが、ナマ畫像がハコに入っていないのは殘念であった。多分再整理で舊畫像も向上すると思われる。Hg氏の300萬畫素の木星のB光について違いがあるかどうかの議論があったのだが、木星では然程違いがないという事であった。

 正午キッカリに、会議室の後片附けも終わった。今回の懇談會は大成功であったと思う。Mk氏とTsさんの準備が行き届いていたことと、會期中も細かな心遣いで運営されたことが大きい。あらためて感謝したい。

 

最後に「メルヘン」へ降り、昼食を攝った。ここは實によく利用したが、この日は日曜で特にお客が多く甚だ喧しかった。然し、日程が恙なく終わったこともあり、氣分上々で長く談笑の場になった。

 Iw氏はCD漁りに東京へ、Mo氏は廣島へ、Nr氏は自宅へ、という中で、最終的に我々Nk、Ak、Hg、Mk、Tsの各氏と筆者は向かいの「開洋亭」の静かな喫茶部へ移り、ここでまた數時間歡談した。四方山話であるが、最後の愉快なひとときであった。Hg氏の沖縄の天文事情についての話は可成り詳しく面白かった。Hg氏は穏やかだが意外と多辯であるというのは知られているかどうか。Ak氏も事情通で話題に事缺かないが、Ak氏は隠れた人情家で好く會を盛り上げてくれた。比嘉氏も阿久津氏も中島守正氏も連日最後まで附き合っていただき感謝である。村上氏も常間地さんもお疲れさまでした。盛会はお二人のお蔭です。会場も好く、上手く運営されたので、近い将來、再度ここで開く案も出た。

 Ak氏は車で(LtE參照)、Hg氏は横濱駅から、筆者はそのまま新横濱から歸途に就いた。18:30頃の指定はとっていたが、名古屋駅での乗り換えの不具合が分かり、一つ前の「ひかり」に飛び乗って、上手く「しらさぎ」に聨絡し、豫定通り23:00頃に三國に歸った。LtEによるとHg氏も殆ど同時に那覇に到着されたようである。

(南 政次)