★ パーカー(DPk)氏の26 Mar (115゚Ls)ω=133゚Wの像(#215p2461、英文はp2463)には、午後に移ったタルシス三山が白斑として冩っている。既に山岳系の白雲が出ている譯で、アスクラエウス・モンスは15h20mLMTになっている(LMTは火星地方時)。
★ ところが、同じくDPk氏の撮像で、2 Aprω=063゚Wの像では不鮮明だが、3 Apr (119゚Ls)ω=058゚W、071゚Wではアスクラエウス・モンスが暗斑で出ていることは確かである。未だ午前で、10h20mLMT程度である(略算は次のようにする:アスクラエウス・モンスの經度はΩ=105゚W、いまω=058゚Wとすると、未だCMから47゚離れており、この日は最接近前の位相角ι=17゚であるから、夜明け線から64゚となり、一時間15゚だから、15で割って4.3時間。従って、夜明けを6hとして、10.3hである)。パウォニス・モンス、アルシア・モンスも出ていると思われる。
★ 日本には13 Apr〜14 Apr (124゚Ls)からお目見えである。比嘉保信(Hg)氏の14 Apr (124゚Ls) 15:26GMTω=092゚Wでは三山が黒點として見え、オリュムプス・モンスも出ている。この日Hg氏はω=102゚W、112゚W、122゚W、131゚Wと觀測しているがω=102゚Wからアスクラエウス・モンスの後方に白霧の圓い擴がりが見える。筆者(Mn)も同日ω=115゚Wでタルシス三山を黒點のシリーズとして捉え、アスクラエウス・モンス後方の白霧も見ている。オリュムプス・モンスも出ている。この時點でアスクラエウス・モンスは13h20mLMTであった。この日は福井は雲が時々出ていた。1997年の098゚Ls以來の觀測である。
★ Hg氏の15Aprは像が揺れる。16 Apr (125゚Ls)にもω=065゚W、075゚W、084゚Wでの撮像があるが、矢張り少し不安定。Mnの16 Apr ω=078゚Wではアスクラエウス・モンスが10h40mLMTだが、既に白雲は棚引いている。アルバも白く圓い。
★ 次の機會は日本では五月中旬以降にやって來る。福井では16May(140゚Ls) ω=108゚Wではアルシア・モンス邊りが暗斑として明瞭で、オリュムプス・モンスも外輪が見える。アスクラエウス・モンスは不鮮明だが、13h00mLMTである。ω=118゚Wでもアルシアが濃い。17Mayにも似たような觀測があるが、20May以降觀測が詳しくなる。
★ 20 May (142゚Ls、ι=21゚)ω=096゚WのHg氏の影像には三山が暗斑で出ている。ω=106゚Wでは像がやや暗。
★ 21 May (142゚Ls)ω=081゚WのMnの觀測ではでは三山もオリュムプス・モンスも明確であった(『天文年鑑』2000の圖參照)。この時アスクラエウス・モンスは9h00mLMTである。この日はω=091゚Wでも見えている。22 May (142゚Ls)のMnは既にω=053゚Wで可成りの黒點を捉えた。經度からパウォニス・モンスかも知れないが、アスクラエウス・モンスとすると7h00mLMTである。ω=062゚Wでは三山の暗線が見え、オリュムプス・モンスも暗點として入ってきている。アルシア・モンス邊りの暗影はω=101゚W邊りまで見えた。
★ 23 May、24 MayにはHg氏の優れた像がある(Hg氏の纏めのVideotapeではTingaraの「夜間飛行」の二回目が演奏される頃の畫像である)。
23 May (143゚Ls、ι=23゚)にはHg氏はω=053゚W、063゚W、073゚W、082゚W、094゚Wと紀録を殘している。ω=053゚Wではアスクラエウス・モンスが暗斑として出ている。ω=063゚Wではタルシスの暗線と共にオリュムプス・モンスも入ってきていると考えられる。ω=073゚Wでは三山が明確。アスクラエウス・モンスの後方には白雲。ω=082゚Wは良像で、更に暗斑が中に入ってきている。白雲は南の方が強くなっているか。ω=094゚Wでは、アルシア・モンスが可成りの暗斑。
★ 暗斑はいつ頃まで見えるかという問題だが、13 May (138゚Ls、ι=15゚)の筆者の觀測では、ω=147゚Wでも微かに確認されている。アスクラエウス・モンスの位置でほぼ14h00mLMTである。既にアスクラエウス・モンスやオリュムプス・モンスの白斑は出ている。
★ 六月に入ってヨーロッパが好機になったが、MarsWatchの畫面によると、ポルトガルのシダダオ氏(António José CIDADÃO, 25cm LX200 SCT equipped with an ST-5C)の2 June (148゚Ls)ω=092゚W、110゚W等の畫像に三山が分離して出ている。オリュムプス・モンスも出ているようである。5 June (150゚Ls)ω=071゚W、ω=089゚Wにも見られる。CIDADÃO氏の影像では、既に2 May (133゚Ls)ω=080゚W〜105゚Wにも多くの斑點があるが、處理によるゴーストとの區別が難しい。
★ アメリカに移って、DPk氏の像は10 June (152゚Ls)ω=107゚W、116゚Wで、タルシス三山とオリュムプス・モンスが黒點として明確で、特にオリュムプス・モンスは外輪と共に素晴らしい像である。白雲はパウォニス・モンスの後方が可成り濃い。ω=116゚Wでアスクラエウス・モンスは暗斑として明確だが、10h30mLMTである。
14 June (154゚Ls) ω=076゚W、081゚Wも良像で、アスクラエウス・モンス、アルシア・モンスが大きく明確である。この像では或詳細が描冩されていて、Fortuna Fossae (094゚W、03゚N、フォッサは溝、狹い谷、フォッサエは複數)のあるところを中心に白霧の擴がりが見えている。10h00m LMT邊りだが、時間の遅い10 Juneの映像では擴散している(12h45mLMT邊り)。この同じイメージは、稍淡いが明白に1997年のHSTの像(30 Mar 1997 (097゚Ls))にも出ている。また、もっと後、21 Aug 1997 (167゚Ls)のMGS/MOCの遠隔畫像にも出ている(CMO #196 p2178參照)。暗斑が核になっている。ここは斜面だが、やや緩く擴がっているところである。
★ 今回は可成り長く可成りの視直徑でこの地方の朝方が觀測された。MGSの映像にも出ている様な朝方のモンテスの黒班は頂上を示すもので、可成り遅くまで、午後の初め14:00LMTまでは殘るようである。頂上から裾野に掛けての山岳系の白霧は當然午前早くから出ている。矢張り特にアスクラエウス・モンスからパウォニス・モンスに掛けての山稜から西に棚引く雲は毎日強く生成される。
問題は、この山岳波がどの季節に於いて夕方の傘雲も構成するようになるかどうか、であるが、これは別の主題としよう。ただ、從來、オリュムプス・モンスとしてきた著しい白雲の塊も(タルシス・モンテスの場合も同じだが)矢張り多くサミットとは幾らか外れたものである可能性が大きいであろう。アントニアディやローウェルの火星圖において、ニクス・オリュムピカの位置がずれたことや、タルシス山系の位置測定でも、いろいろな齟齬が見られたのは多分、雲や霧の動きが複雜な爲であったからであろうと思われる。