ISMO 2013/14 Mars Note (#03)
Maurice
VALIMBERTIが観測したヘッラス外縁の黄塵活動
2014年8月27日(λ=186°Ls)
南 政 次
メルボルンのMaurice
VALIMBERTI (MVl)氏の27 Aug at ω=324°Wの画像に表れ、翌28Aug
ω=312°Wで明確になった事で話題になったヘッラス西側の小さい黄塵について今回触れる。目的はこの黄塵をどういう位置付けにするかという観点から記述したい。MVl氏は多分狙っていたのか25
Aug(λ=184°Ls)から時に一晩二回の観測を含んで、30Augまで連續して観測している。この黄塵のMRO画像はみあたらないので、実際この観測がなければ、この黄塵は永遠に闇に紛れてしまうところであったと思う。視直徑δは7"を割る頃だから條件は良くなかった。しかし、28Augの像は明確に小黄塵の存在を示しているから連続撮影は成功であったし、好い資料を提供したとわけである。今回接近は数名のオーストラリア人の観測が際立ったのだが、MVl氏以外は観測を既に止めていたのは殘念であった(事情は分からないがMVl氏も七月には一度の観測もない。ただ、11Augから再開しての活躍であった)。
季節の観点からは2001年の大黄雲はλ=184°Ls (24 June 2001)から始まったので、八月以降重要な季節が訪れるという意味では、適切な対応だったと言える。2001年の場合と異なるのは、2001年には黄雲は大バケして、火星の季節感を失わせるほどの長期の黄雲季節が續いたのだが、これは確かに稀なケースであるようで、例えば今回も大バケはしていない。
今回の黄塵は28Augに顕在化した後、29Augには確実に把握できるが、30Augには拡散したかも知れず、この邊りの観測が最早揃わないので、何とも言えないのであるが、その後、大気の汚れは顕著であったが、黄塵が大バケしたような兆候は無かったと言って好いだろう。
ヘッラスの近くの黄雲と言えば、昔はヘッラスが黄雲の發生箇所の様に喧伝されていたと思うが、実際にはヘッラス盆地は可成り深いため底では気圧が高く、内部も晴れることが多く、少々の内部黄塵では外に出てきたりはしないのである。この発現のメカニズムについてはCMO #256の
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Note02j/index.htm
を參照されたい。
1956年の大黄雲(λ=250°Ls発現)や1971年の大黄雲(λ=260°Ls発現)も最初の發生はヘッラスの周りで起こっている。2001年の場合は更に離れて、ヘスペリア邊りが初発現であった。いわゆる大黄雲は上空に昇る力が必要で、相當大氣が暖まる必要があるので、近日点に近いλ=250°Ls以降が狙い目なのだが、2001年の場合はその点特異であったわけである。但し、アントニアディの紀録に寄れば1924年の大接近のときはλ=236°Lsで、火星面が木星のようなクリーム色の黄雲で覆われた様子だし、逆に1973年には遅くλ=300°Lsで發生しているから、狙いを定めるのは容易ではない。多分に太陽活動の強弱、特に太陽風などの影響もあるだろうし、発現箇所も一定していないから、それらはバラツキの原因になろう。
尚、1971年の場合、λ=260°Ls大黄塵の前、λ=214°Lsでイアピュギアから西北に掛けて棒状の黄塵が出たのがヨーロッパ域で観測されたのであるが、これは早くに終熄した。但し、λ=260°Ls大黄雲の前触れであった可能性がある。なおλ=214°Lsは今回の接近中フォスター氏がクリュセ北部に小黄塵を記録した季節に一致する(本号のCMO/ISMO 2013/14 Mars Report #16を參照)。
ここでヘッラス周邊での小黄雲の活動に話を戻すと、2001年の場合、CMO#268の論攷(Precursory
Phenomena Leading to the Early Rise of the 2001 Yellow Cloud )
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/268Note15/indexj.html
に記した處に據れば、「MGSによって既に、8
April 2001 (λ=143°Ls)にヘッラスの周りで小さくない局所黄塵が二つ觀察されている。
これは現在でも
http://www.msss.com/mars_images/moc/extended_may2001/weather
で見ることが出來る(24
May 2001プレス發表)。一つはヘッラス東岸に、もう一つはノアキスに起こっている。クレーターが幾つか明確なので、これで調べると、後者は40°S前後に幅を持ち、325°Wから以西へ流れている。東岸の黄塵はやや南にあるが50°S迄は行っていないであろう。ヘッラスは未だ内部に霜を持っている。」
つまり、少なくとも2001年の場合は早めのλ=143°Lsの時點で小黄塵がヘッラスの周りで起きていたことになる。大黄雲の發生の際は、それに先立って黄塵擾亂がある程度必要ならば、前もって小黄塵の發生がトリガーになるかも知れず、この点、大黄雲の場合、調査を拡げておく必要はあろう。
次に、今回に似たケースでヘッラスの周りに局所黄塵があった例として、1969年の場合のケープン氏の観測を採り上げる。ケープン氏は當時、テキサスのマクドナルド天文臺の208cmの反射鏡で観測していたが、29May1969(λ=164°Ls)のスケッチに、ヘッラスに沿って黄塵が立っていることを記述している。これはもう一枚のスケッチで示すように31May1969にも記録されている。この黄塵は今回のMVl氏の黄塵より時期的に早いが、2001年の上記のケースより遅い。ヘッラスの近傍で起こっていながら、ヘッラスとは接触していない例といえる。なお、1969年には大型の黄雲は起こっていないと思う。
このときのケープン氏の観測についてはシーハン氏が著書(The Planet Mars - A History of Observaion and
Discovery,The University of Arrizona Press, 1996)p168で紹介しているので頁に最後に引用しておく。(*)
ところで、2003年にもλ=215°Lsにヘッラス域と無関係ではないシヌス・サバエウスを切断するような綺麗な黄塵が見られた。このときは世紀の大接近で、視直徑も大きく、 4 July at 15:10 GMT (λ=215°Ls) には村上 昌己氏にemailで次のように傳え、これはいまでも CMOファサードの"Director's Notes in
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomk/DN1.html
の中に次のように記録されている:"Clear Dust in Deucalionis Regio: ISHADOH
and MINAMI observed at ω=331°W that the eastern half of S Sabæus was clearly
covered out by a dust from Ducalionis R. Western half of S Sabæus and S
Meridiani looked however very darker in a chocolate colour than usual" 筆者はこの連絡の後、15:30GMTに初観測に入った。なお、この黄塵も期待した規模には発展せず、中規模に終わり、グローバルにはならなかった。チョコレート色が鮮明であったのは、シヌス・メリディアニ側は黄塵側から離れて高気圧の範囲であった事を意味する。この黄塵についての見解はCMO#288の
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/288Note01j_03/index.htm
に詳説してあるので、再読を勧めたい。
最後に、ヘッラスからは遠いクサンテ地方での局所黄塵をVALIMBERTI氏始め、数人の観測者が矢張り2003年のλ=214°Lsで観測していることを記しておこう。CMO#289にあるもので
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/289Note02j_03/index.htm
を參照されたい。この中にはB CANTOR達の論攷 "Martian dust storms: 1999 Mars Orbiter
Camera observations" (JGR, 106 (2001) 23653) が1999年にMGC-MOCの映像からλ=109°Ls ~ 273°Lsの期間中、783個の小黄塵をチェックしていることを紹介している。季節はλ=135°Ls, 150°Ls, 161°Ls, 162°Ls, 165°Ls,
187°Ls, 193°Ls, 203°Ls, 210°Ls, 219°Ls, 220°Ls, 223°Ls, and 227°Ls と亙る。この内、λ=160°Ls ~ 165°Ls では北半球高緯度で(丁度北極冠が最小になった頃から)、λ=210°Ls ~ 227°Ls 邊りでは中緯度で発生すると数えており、λ=214°Lsはここに入るわけである。但し、この分類は1999年の話である。
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(*) C F CAPEN氏との24Apr1983での交信にもとづいて次の様に述べている。
W SHEEHAN The Planet Mars (1996) p168
In May 1969, with Mars near opposition,
Capen enjoyed a series of splendid views with the 82-inch (2.08-m) reflector at
McDonald Observatory in
C. F. Capen to