Ten Years Ago (227)

 ---- CMO #289 (25 March 2004) ----

  http://www.hida.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/cmo289/index.htm


 

CMO#289(25 March 2004)号は、2006年十一月に発行された。印刷版は発行されていないので、上記URLから是非ご覧頂きたい。

 

測レポート、 2003 Mars CMO NoteLetter to EditorTen Years Ago での今号の構成であった。穴水ローヱル会議のページも更新されている。

 レポート(2003 Great Mars CMO Report)24回目を数え、2004年二月後半から三月前半の火星面観測を取り上げている。この期間、火星は夕方の「おひつじ座」から「おうし座」へ向かい、日没時の高度はまだ高かった。季節λ351°Ls から005°Lsと北半球の春分を三月5日(啓蟄の日)に迎えた。視直径δ6.1秒角から5.3秒角へと小さくなり観測期終盤であった。中央緯度φ26°Sから13°Sへと傾いて北半球が見えやすくなった。位相角ι38°から34°へと少し丸みが戻ったが、朝方の欠け具合は大きい。

観測報告は、12名から107観測であった。国内からが791観測、南(Mn)氏・森田(Mo)氏・熊森(Km)氏の観測数が多い。アメリカからは38観測。ヨーロッパからは28観測の内訳である。

 

レビューの「北極雲と北極冠」 では、このλ=350°Lsを過ぎた季節に問題となる北極雲から顕れる北極冠について取り扱っている。傾きは南向きで北極域は見え難く、ボーム氏などの北極冠雪線の緯度の予想値をもちいて、計算してみてもまだ北辺に薄く見えるだけであったとしている。二月中には北極域には強い北極雲が見られていて、三月にはいってからは北極冠が瞥見できているのではないかとしているが、視直径の小さな事もあり判断は難しかった。「南 極 雲」では、この期間に捉えられた南極雲の様子を各氏の観測から記述している。「ヘッラスの大気」には、各観測者が捉えたヘッラス内部の明度差や全体の明るさの様子を指摘している。

「模様など」では、パーカー(DPk)氏やKm氏の良像に捉えられた暗色模様、北極域の様子などが取り上げられている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/289OAAj/index.htm  

 

 2003 Mars CMO Noteの二回目は、2003年七月2GMTのクサンテ黄塵」 "Xanthe Dust on 2 July 2003"のタイトルで、2 Julyに観測されたクサンテ北部の黄雲について取り上げている。この黄塵は殘念ながら夜になって収縮したらしく、翌日には再発生しなかった。同時期に発達したイシディス・プラニチアからデウカリオニス・レギオに黄雲騒ぎの蔭に隠れてしまって注意が削がれてしまったが、注目されるべきものであるとしている。

 何故かというと、最近注目されている北半球起源の黄塵だからであるとしている。1999年のMGS-MOCの画像からλ=109°Ls~273°Lsの期間に発生した黄塵を数え上げたBruce E CANTOR et alの論文 "Martian dust storms: 1999 Mars Orbiter Camera observations" JGR, 106 (2001) 23653 から、南半球の大黄雲は皆無ながら、北半球奥地での黄塵が目立ち、どうもこちらの方は常態ではないかと考えられる様になったからであるとしている。原文を引用すると、「北極冠が極小状態になったλ=160°Ls~165°Lsに高緯度で起こり、北半球の秋を過ぎた210°Ls~227°Lsには中緯度40°N~50°Nで集中して發生し、冬季を迎えるという風になっている。1999年の場合、前者も二週間ぐらい、後者も十日を超え、λ=210°Lsには矢張り二週間持續したようである。中緯度でこうした長いものは赤道に至って影響を齎すことが多く、また赤道を越えることもある。上の場合λ=210°Ls黄塵と、λ=221°Ls ~ 225°Lsの黄塵は所謂cross-equatorial dustsと認定されている。」として、北半球起源の黄塵が赤道をまたいで南半球に影響する事を取り上げ、火星の季節的な大気運動に関しても説明がある。

 次いでは、このクサンテ黄塵の活動した期間のemailのやりとりの様子が引用されている。今回の黄塵をその朝いち早く伝えた、Maurice VALIMBERTI (MVl)氏の知らせと、それに対するMn氏の返答、Eric NG (ENg)氏の通信である。

 同じ様な現象であった1986年の例も紹介されている。Mn氏が台北の圓山天文臺に滞在して観測していたときのことであり、11Aug1986(λ=223°Ls)から15Aug(λ=225°Ls)の期間に捉えられた、クリュセが黄雲で溢れた現象で、阿久津富夫(Ak)氏の13AugTri-X写真と、15Augの圓山天文臺の張麗霞(LCh)さんのTri-X写真の画像やMn氏のスケッチが、『天文ガイド』1987年二月號の記事から引用されている。

MGSの画像の紹介もあり、1999年の8Oct(λ=221°Ls)に顕れたマレ・アキダリウム域の二つの黄塵と12Oct(λ=223°Ls)での、やや赤道寄りでの黄塵の再現を示したものと、今回の黄塵のMGS像が選ばれていて、説明がなされている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/289Note02j_03/index.htm 

 

LtEには、二月25日から三月24日の来信が収められていて、

 外国からはDon BATES (TX, the USA), António CIDADÃO (Portugal), Ed GRAFTON (TX, the US), Silvia KOWOLLIK (Germany), Françoise LAUNAY (Meudon, France), Frank MELILLO (NY, the USA), Eric NG (Hong Kong), Don PARKER (FL, the USA), Damian PEACH (the UK), Christophe PELLIER (France), Bill SHEEHAN  (MN, the USA), Elisabeth SIEGEL (Denmark), David STRAUSS (Kalamazoo College, MI, the USA) Maurice VALIMBERTI (Australia), Sam WHITBY (VA, the USA), Tom WILLIAMSON (NM, The USA) 16名の方々から、お便りがあった。国内からは阿久津富夫(栃木)、 淺田 (福岡)、平岡 (東京)、岩崎 (福岡)、菊岡 秀多(大阪) 熊森照明(大阪)、長 兼弘(石川)、牧野彌一(富山)、松本直弥(長崎)、宮崎勲(沖縄)、森田行雄(広島)、藪 保男(滋賀) 12名の方々からであった。この月もローヱル会議とOAA総会関連の通信が多く含まれている。

 

Ten Years Ago (103) は筆者の筆で CMO #143 (25 March 1994)号が取り上げられている。火星は朝方の空に移っていたが、まだ太陽との離角は大きくなかった。

 トップ記事は、COMING 1994/95 MARS の一回目で、「1994/95年の火星観測暦表(その1)"Ephemeris for Observation of Mars in 1994/95. I " A NISHITA が掲載された。1 June 1994 から 31 August 1994までの暦表である。1995年接近の観測期が始まろうとしていた。

 次いでは、「ときどき- Something Old - (7) 1986年の火星(梗概) "Martian Surface Features Observed from Far East in 1986, Résumé" の紹介である。1988年三月に、ドン・パーカー(DPk)氏・リチャード・マッキム(RMk)氏に送ったMn氏の英文の報告である。かなり以前のものだが『火星通信』紙上には未発表であった。

 『夜毎餘言』・XLIV は、「サン・テグジュペリ」と題して、当時、地中海の海中から発見された乗機の墜落残骸の事から話を起こして、彼の作品についての印象が述べられている。CMOホームページの「ずれずれ艸」に収められている

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Zure6.htm    「ずれずれ艸」

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/289TYA103.htm  「TYA103

 

 

村上 昌己 (Mk)


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