Ten Years Ago (225)

 ---- CMO #286 (10 January 2004), CMO#287 (25 January 2004) ----

   http://www.hida.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/cmo286/index.htm

http://www.hida.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/cmo287/index.htm


 

今回はウエッブ版のCMO #286 (10 January 2004)号と、CMO #287 (25 January 2004)号を取り上げる。上記のリンクから辿ることが出来る。印刷版は発行されていないのでこの機会に是非ご覧いただきたい。

 

じめのCMO #286には、2003 Great Mars CMO Report (21)と来信が取り上げられている。21回目となるレポートには、200312月下旬(λ=317°Ls~326°Ls)の観測がまとめられている。

この期間に火星は夕方の「うお座」にあって東矩(1228日が赤径での東矩)に向かっていた。視直径δ9.6"から8.5"に減少し、位相角ι42°台と欠けが大きかった。傾きφ26°S台と南に大きく傾き、南半球がよく見えていた。1212(λ=314°Ls)にクリュセに黄雲が発生して、その後の追跡で観測数は増えている。

 報告数は27179観測で、内訳は日本からは8105観測だったが、日本海側の福井では天候が優れず観測ははかどらなかったとのことで、堺の熊森(Km)氏の活躍が光った。アメリカからは838観測で、パーカー(DPk)氏が半数を占めている。ヨーロッパでは823観測、アジア・オセアニアからは313観測であった。

 

 レポート本文は、日を追って黄雲の進展状況を記述している。観測は正面に黄雲があったアメリカ側からで日本ではディアあたりの西側のしっぽが捉えられていた。

 16日には、DPk氏の観測では東側に急激に発展してデウカリオニス・レギオの東端部からノアキスを南西に横切る擾乱が観測されている。見解として「初期の黄塵は夜間、成層圏が落ちてきて、對流活動は止まるが、14Dec15Decから上空へ昇ったダストが轉向力で少し東に擴散して黄塵の發生條件を傳え、16Decには朝方で先ずデウカリオニス・レギオの東端部で黄塵が起こり(ここは1956年以來起こりやすいところとして知られている)、次いで自轉と共にノアキスを南西に横切る形で幾つかの擾亂が起こり、TESの黄塵マップによれば、アルギュレの西側、ディアでも強い黄塵が次々と舞い上がっている。後者は前日の残滓であろう」としている。一回りした17時間後にフランスでペリエ(CPl)氏が再びデウカリオニス・レギオに黄雲が発生しているのを捉えていて、同様の場所に黄塵が発生したことも興味深いとしている。17日はアメリカでの観測は少なく、他も適当な角度の観測がなく解説は少ない。18日は、パーカー氏の観測で、ノアキスとアルギュレ方面に黄雲を認めている他、シヌス・メリディアニが黄雲被りで確認できないとしている。グラフトン(EGf)氏の画像は、デウカリオニス・レギオ東端での黄塵の様子を伝えていて、明るい核がヤオニス・フレトゥムに沿って南に延びているが、ヘッラスには入っていない。シヌス・メリディアニは黄雲を被って消失しているのが明確である。オセアニアに移ってヴァン・デア・ヴェルデン(EVl)氏は黄雲の西端がマレ・シレヌムの南にまで侵入した様子を出している。一回りしたヨーロッパでの観測でも、黄雲前面では同様にヤオニス・フレトゥムに沿って明帯が南に延びているのが捉えられていた。19日には観測も少なく黄雲の発展もそれほどでなかった。

 20(λ=319°Ls)のグラフトン(EGf)氏の画像には、デウカリオニス・レギオ東端の黄塵のコアが、前日と幾らか違って確認されているほか、ノアキスでも南方へ拡散があったようである。 21日になって、 ヘッラス西北部に初めて黄塵が誘起されているのが、グラフトン(EGf)氏と、パーカー(DPk)氏の画像に捉えられた。西側の発展はアジア・オセアニアで捉えられているが、大きな発展はなく、アルギュレからタウマジアの方に流れている帯が目立つ程度であった。22日の解説には、「TESの午後2時像ではヘッラスの擾亂は然程では無くなって、南向きヴェクトルによって南極冠の周りに擾亂が吹き寄せられてきたことが分かる。そろそろ終息に近い」とある。23日になって、TES像ではヘッラス内に再び一時的な擾乱が西南部に見られたが、アメリカでの観測はなかった。アジア・オセアニアの観測では、再びクリュセ辺りに黄塵が起こったことが捉えられている。その後も観測が続けられているが明るいコアを持つ擾乱の出現は見られず、シヌス・メリディアニやマレ・セルペンティスなどの暗色模様も回復してきた。28日には「TESでは最早擾亂は見られない」、31日には「TESで見る限り、強い擾亂は終わったようである」としている。

 続く「ノート」には、今回の浮遊ダストの動きを、火星の季節による気象学的な気団の動きで次のように説明している。

南半球の夏至はλ=270°Ls、秋分はλ=360°Lsである。夏には氣團は南極から北の方に行き、偏東風が吹くと考えて好い。一方、秋分には赤道の方が暖まり、赤道から南極の方に氣團は動くであろう。そこで、λ=320°Ls邊りは中途半端なのであるが、今回の浮遊ダストの動きを見ると、この季節は秋型に近いようである。從って、最終は南極に集まり、途中東へ流れるのである。但しこれは朝から夕方に掛けての氣團のヴェクトルを意味するだけで、夜は殆ど對流が無いであろう。また氣團は黄雲の動きを指すものではない。黄塵をカタストロフとして起こすような潜在的な條件を保つ氣團である。カタストロフは條件さえあれば、毎日(多分朝)更新するし、共鳴も起こす。カタストロフは從って、連續する場合、東の部分が先陣になるから左の方から議論するが好い。一旦起こったカタストロフは颱風のようには動かない。次の日の條件によっては消滅し、また別の箇所に共鳴する。 なお、秋型であると、氣團は冷やされやすいわけであるから、局所的な黄雲しか醸さないであろうと思う。

 他には、ピーチ(DPc)氏の残留南極冠を捉えた画像など、この視直径での良像を取り上げている。

      http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/286OAAj/index.htm  

 

 LtEには、20031225 から200419日の期間の来信・新年の挨拶が収録されていて、外国からはAntónio CIDADÃO (Portugal), Ed GRAFTON (TX, the USA), David GRAY (the Uk), Canon LAU ( 佳能, Hong Kong), Paolo LAZARROTTI (Italy), Richard McKIM (the UK), Eric NG ( 偉堅, Hon Kong), André NIKOLAI (Germany), Don PARKER (FL, the USA), Damian PEACH (the UK), Christophe PELLIER (France), Gianni QUARRA SACCO (Italy), Bill SHEEHAN  (MN, the USA), Clay SHERROD (AR, the USA), Elisabeth SIEGEL (Denmark), Maurice VALIMBERTI (Australia), John WARELL (LPL, AZ, the USA), Sam WHITBY  (VA, the USA) 18名、国内からは、阿久津富夫(栃木)、岩崎 (北九州)、熊森照明(大阪)、宮崎勲(沖縄)、森田行雄(広島)、岡野邦彦 (東京)、涌川哲夫(沖縄) 7名の諸氏からたよりがあった。

 

 

いでのCMO #287号は、 2003 Great Mars CMO Report (22)と、2004110日から124日の来信、Ten Years Ago(101)の構成である。

 レポートは22回目となり、20041月前半の観測報告が取り上げられている。この期間に火星は「うお座」を順行して視赤緯は北へ移った。赤径での東矩は先月末で日没後の南の空に見えていた。季節はλ=326°Lsから334°Lsまで進んだが、まだ南半球の秋分(λ=360°Ls)までは間があった。中央緯度φ26°Sから25°Sを推移して、南半球が大きくこちらを向いていたが、殘留南極冠の確認は難しかった。視直径δ8.4"から7.6"と、さらに遠ざかって小さくなって、位相角ι42°から41°と欠けは大きかった。

 観測報告は減って、13名から115観測で、ほとんどが国内からの観測になった。内訳は日本からは796観測。アメリカからは414観測で、パーカー(DPk)氏が9観測であった。ヨーロッパからは13観測、アジア・オセアニアからは12観測であった。

 

 レポート本文には、いくつかのサブタイトルがあり、「十二月黄雲の影響」には、12Dec(λ=315°Ls)に発生したクリュセ黄雲の概況があり、東側に発展して明るいコアをいくつか発生させたが、18Dec(λ=318°Ls)辺りがピークで24Dec (λ=321°Ls)辺りでは地上の擾乱は治まったが、上空の浮遊黄塵は昨年末でもまだ強く見られていたとしている。一月に入ると黄雲活動域が日本から見え始めて、ヘッラス内に黄塵が余計に溜まっている様に見えて、北部に明るさが観測されていた。暗色模様にもまだ浮遊黄塵の影響が見られ、シヌス・メリディアニ、マレ・セルペンティス、マレ・キムメリウムなど、いろいろな変化が認められたところが列挙されている。

 その他は「トリナクリア」、「オリュムプス・モンス」、「北極雲」、「南極冠」など注目する画像を取り上げて解説している。「タルシスに白霧?」ではパーカー氏が113/14日にB光像に捉えたタルシス地方北部の白霧を取り上げ、「白霧がCM附近に現れるのは浮遊黄塵の消失を意味してくる」としている。

      http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/287OAAj/index.htm  

 

 来信は、GRAFTON, Wu-Yang LAI ( 武揚, TAIWAN), Frank MELILLO (NY, the USA), PARKER, Damian PEACH (the Uk), PELLIER, Joel WARREN (TX, the USA)の外国からの7名と、阿久津、浅田 正(福岡)、平岡 (東京)、岩崎、熊森、松本直弥(長崎)、松本達二郎(兵庫)、森田、坂下 (石川)、佐藤利男(東京)、藪 保男(滋賀)の国内からの各氏11名からのものがLtEに紹介されている。

 国内からのものには、五月に開催が計画されている穴水での「ローヱル会議」と4月末の長崎での「OAA総会」に関してのやりとりが多く記録されている。

 

TYA(101)CMO #141 (25 January 1994)号が南氏により英文・和文取り混ぜて紹介されている。20年前のこの号は、来信と新年の挨拶が中心で、他に『夜毎餘言』XLII「續・詩人M氏」が四頁ほどある。

 英文の部分は、シーゲルさんのお便りへの返信で、南氏により紫式部と「源氏物語」に関する解説がある。シーゲルさんが来日したときに訪ねた福井県武生市に紫式部が在住していた事から解説が始まる。文末には平安京遷都1200年記念の年であることが記されている。

 森田氏からは森田現象に関して、ドルフュス(Audouin DOLLFUS)氏からお便りがあり、1992年にドルフュス氏がムードン天文台で森田現象と同様のエリュシウムとその北の白かった現象を撮影した画像(8 Dec 1992, λ=007°Ls)が送られてきていて、その紹介がある。英文の解説もあり、ドルフュス氏の画像の撮影前後の199211月から19931月までのエリュシウム付近の様子が調査されている。

 マッキム(RMk)氏からの来信は、北極冠の大きさの測定に関するもので、1992/93年接近のBAAの観測から、火星面中央の北極冠の厚みを測定する方法と東西方向の幅から雪線を求める方法で求めたデータの比較が紹介されていて。マッキム氏は北極冠の厚みを測定する方法が良いと信じているように思えるとしている。西田昭氏の作図で、ジェームス・ドルフュス・ボームのデータの北極冠縮小とマッキム氏のデータの双方を並べて記入したグラフが記載されている。その後には和文で、国内からの来信の紹介がある。

 『夜毎餘言』XLIIは「續・詩人M氏」で、Mとは三好達治のことで、彼の三國流竄の時代(1944年~1949)のことを書いたもので(後三十年)、これは後に「ずれずれ艸・ その(18)」としてCMO-Webに掲載されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/287TYA101.htm

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Zure18.htm

村上 昌己 (Mk)


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