Forthcoming
13/14 Mars (5)
1999年のバルチアのサイクロンは2014年に再現するか?
南 政 次(Mn)+村上 昌己(Mk)
CMO/ISMO #416 (
序
来る2014年の15年前のApril
1999にマレ・アキダリウムに後続するバルチアの朝方に大きなサイクロンが観測され、五月に入ってから、その青色写真が新聞で公表された。1999年のそのときの福井でのエピソードはCMO#218(25May1999)の1998/99
Mars Observation Reports -- #11--の最後のNoteで語られている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Repo11j/index.htm
些し引用すると「プレス・リリースされた像はB光であるから模様からは場所が判断しにくいが、北極冠内のカスマ・ボレアレの方向に注目すれば、バルチアと知れる。WFPC2が27Apr(130°Ls)の17:55:38GMTから18:51:12GMTの間に捉えたものである。」
撮影時間は ほぼ一時間にわたっている。
ここで右に掲げる像は短波長の336
nm で撮られたもので、
http://marswatch.tn.cornell.edu/hst99.html
を見ると分かるように、全体は255nmから1042nmの範囲で撮られているが、サイクロンが明瞭に見えるのは600nmぐらいまでである。尤もR光でも所在が分からないわけではないが、ただサイクロンがB光像より小さく見える。從って、眼視での観察ではB光の実際よりサイクロンは小さく描かれるであろう。
ところで、新聞発表がなされたときの福井の天文台での様子は、CMO#227の1998/99
Mars CMO Note # 03 でMnによって次のように語られている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/note/9903/03j.html
「五月の下旬になって、或る夕方博物館天文臺で中島孝(Nj)氏と落ち合ったとき、Nj氏が27AprにHSTが發現したサイクロンの新聞に載った写真を挿頭しながら飛び込んできた。この写真は青色光像(『天文年鑑』2000年版p120の左圖)で、暗色模様が出ていないため俄には何處だか一見しては不明で、暫く迷ったのであるが、カスマ・ボレアレの位置から、マレ・アキダリウムの邊りだと知れ、そうだ、ムラカミだ!とMk氏の言説が蘇り、未だ薄暮の明るい屋上で二人で快哉を上げ、小躍りした。後聞によればMk氏も比嘉保信(Hg)氏も新聞で直ぐ氣附いた由である。HSTの紀録はこちらの觀測と共に#218(25May1999)
p2518/19 (英文はp2524)に紹介した。」
ここでMURAKAMIの名が飛び出したのは、Nj氏もMnも五月の初頭にMk氏などと福井で会っているからである。この点についても上のNoteは次のように語っている。
「昨年五月の福井での懇談會の休憩の折、村上昌己(Mk)氏が、四月の下旬バルチアに異常があったとして、他の觀測者はどうかと觀測ノートを覗き廻っていた。筆者の處へも來て、フーン出ていますね、などと言っていた。」
この27日には日本では村上のほか、岩崎 徹(Iw)氏も、実際に眼視観測を連続で行っていて、村上の最後の観測は
27April 16:10GMT ω=351°Wで、HSTが働き始める1時間46分前であった。Iw氏の場合は最後の観測が14:10GMTで、HSTの時刻までは3時間46分の差がある。火星が西に墜ちかかっているころであるから、やむをえないかも知れないが、Iw氏の場合(以下の図で示すように)雲塊の動きを検出していないのではないかと思われる。日本の観測はHSTの時間帯の前を押さえているというのはMkの場合に限られるかも知れない。それにしても誰にとっても貴重な観測機会だったと言える。
ちなみに27Aprの日本の観測は
Iw-047D ω=302°W (at
Id-054D ω=304°W (at
Iw-048D ω=312°W (at
Mk-113D ω=312°W (at
Iw-049D ω=322°W (at
Mk-114D ω=322°W (at
Mk-115D ω=332°W (at
Mo- C ω=336°W
(at
Mk-116D ω=341°W (at
Mk-117D ω=351°W (at
となされている。ここでIdは伊舎堂弘氏のこと、Moは森田行雄氏のコードである。Mo氏の場合カラー写真(ASA100のネガカラー)であるから、ここに引用する。バルチアの白く輝く様子が出ていると思う。白雲が好く見えるようになったのは、Iw-048DやMk-113Dのω=312°Wあたりからであった。なお、福井では待機はしていたが、27Apr前後は天候が悪かった(後述)。
一方HSTの活躍時のあとはGMTで19時頃になるから、ヨーロッパでの観測が期待されたが、報告はなかったように思う。しかし、HSTは引き続きGMTで夜半越えの28Aprの00:22GMTから01:17GMTまで撮像している。実際にサイクロンが弱くなりながらもまだ火星面に存在していたのであるから、ヨーロッパでの可能性がないことはなかったと思う。
左の像は後半の28Aprilの図で、ここでは410nmの像を選んだ。サイクロンの位置を確かめられたい。
では前日はどうであったか、が重要な問題である。先に引用のCMO#218(25
May 1999)の1998/99 Mars Observation
Reports -- #11--
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Repo11j/index.htm
に次のような記述がある。
「26AprのMkの観測については前號217號(10
May 1999)の2498頁で次のように報告している。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/217/cmo217.html
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Repo10j/index.htm
「Mk氏は26Apr(130°Ls)ω=326°W~355°Wでヒュペルボレウス・ラクスとマレ・アキダリウムに挟まれて、バルチアに濃い朝霧が出ていることを注意した。丁度、イアクサルテスに阻まれている様な形になっている。」
実際、Mkが27Aprに観測を連続で追ったのは26Aprの観測があったからである。
OAA火星課の26Aprの観測は次の様になされている:
Iw-044D ω=311°W (at
Hg-426-1V ω=316°W (at
Iw-045D ω=321°W (at
Id-053D ω=321°W (at
Hg-426-2V ω=326°W (at
Mk-109D ω=326°W (at
Mk-110D ω=335°W (at
Hg-426-3V ω=336°W (at
Hg-426-4V ω=346°W
(at
Mk-111D ω=345°W (at
Mo- C ω=350°W (at
Hg-426-5V ω=355°W (at
Mk-112D ω=355°W (at
Hg-426-6V ω=001°W (at
Hgは比嘉保信氏のコードである。彼の26Aprilの連続像からの引用は次のようである。
また、Iw氏とMkの26April,
27Aprilのスケッチを並べたものは次のようである。時間とともに白雲が中に入ってくることはMkの連続像で捉えられていると思う。
更にそれ以前の観測
26Aprilより前の観測についても1998/99
Mars CMO Note - 03 - (CMO #227)
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/note/9903/03j.html
は報告している:25April(λ=129°Ls)には沖縄のId氏とHg氏が次のように連続観測を行っている。
Hg-425-1V ω=322°W (at
Id-048D ω=327°W (at
Hg-425-2V ω=332°W (at
Id-049D ω=337°W (at
Hg-425-3V ω=341°W (at
Id-050D ω=349°W (at
Hg-425-4V ω=351°W (at
Id-051D ω=359°W (at
Hg-425-5V ω=001°W (at
Id-052D ω=008°W (at
Hg-425-6V ω=010°W (at
Hg-425-7V ω=020°W (at
Hg-425-8V ω=030°W (at
Hg-425-9V ω=039°W (at
この日の観測については、次のように報告されている。「最初の角度がω=322°Wで、26、27Aprでの基準角度だったものである。ただ、Hg氏の像では然程ではない。Id氏のω=327°Wでは光斑が明白である。Hg氏の像ではω=351°Wではヒュペルボレウス・ラクスが濃く見え、その南に朝霧。Id氏はId-052Dでやや弱く觀察しているが、Hg氏の像ではω=010°Wでは光斑は明るい。しかし、ω=020°Wでも圓く強いが、朝方に殘るような氣配である。ω=030°Wではバルチアから離れているようで、ω=039°Wでも朝霧は然程中に入ってきていない。HSTの27Aprのω=017°W~030°Wと比較して、發達が弱くサイクロンは構成されていない可能性が強い。」
24Apr(λ=129°Ls)にはId氏、Hg氏のほかNj氏とMnの観測があるが、以下のような報告があるから、ほぼ24Aprか25Aprが境目になっているように思える。
「筆者(Mn)のω=010゚W(15:40GMT)での好シーイング下の觀測ではバルチアには濃い朝雲はない。イアクサルテスとそれに續く暗線が見えている(この日のMnの觀測は、ω=338°W、348°W、358°Wそしてω=010°Wであった)。從って、ω=010°W邊りから強くなるサイクロン型の朝霧は25Aprまたは26Apr以降である。」
(ここで福井での観測が天候の所爲で不調であったことを、具体的に述べておこう。四月下旬は20、21、22Aprilは雲も多いが観測は可能であった。23Aprilは雨、24Aprilは雲間の観測、25Aprilは小雨、26Aprilは天文台にいたが、全くの曇り、27Aprilは矢張り雲が取れない、28Aprilは雨、29、30Aprilは快晴でMnはそれぞれ十、十一回観測。)
逆に28April以後の観測
28AprにはIw氏のω=313°Wのスケッチが一枚あるほか、Mo氏の撮像もあるが、系統的でないため、どの様にも言えない。29Apr(λ=131°Ls)には幾つか観測があり、次のように報告されている。当時の記録は「29Apr
(131°Ls)にも可成りの觀測があるが、Mk氏でもω=314°W止まりであって、この角度は彼にして新しいものとなっている。筆者(Mn)は(この日十回觀測)ω=299°Wから朝霧を見ていて、ω=329°Wでは可成り南まで濃密であるが、ω=358°Wでも然程内部に入って來ていない。從って、Mk氏などの27Apr等の觀測と比較して、發達は見られないと思われる。」
ヨーロッパでは既に当該箇所が見えるようになっているが、数少ない報告の内、André
NIKOLAI (ANk)氏 が
29Aprilにベルリンの15cm屈折でω=050°WのB像を得ている。しかし、像が小さくて判断が付かない。一方英國NorfolkのDamian
PEACH (DPc)
氏が31cmミードで 29/30April にバルチアのあたりの出ている幾つかの画像を得ているが、まだ当時彼は充分な態勢とはいかなくて、B光像が見当たらない。
2014年の場合の可能性
以上の解析から、バルチアの白雲の検出はλ=130°Ls前後が注目されるところである。実際、以下のAppendixに入れるが、1997年にもλ=127°LsでDon
PARKER (DPk)氏がバルチアで白雲の見える影像を齎しているので、充分可能性がある。
そこで、2014年の場合、λ=130°Lsを採り上げ、いつ頃可能性があるか、調べてみる。
先ずλ=130°Lsは五月中旬頃に来る。当然衝の後で、夕方からの観測になる。
日本では、五月上旬の火星の南中は21h
JST(12h GMT)ころで、10May(λ=129°Ls)の21hJSTにはω=348°Wとなるから、これを目安にすると好い。δ=13.7"、ι=24°である。
一方、ヨーロッパでは五月中旬南中時は20hGMT頃で、例として22May(λ=135°Ls)の21hGMTにω=341°Wとなる。δ=12.6"
、ι=30°。
最後にアメリカでは四月下旬に 南中が22hEDT(03hGMT))頃で、24April(λ=121°Ls)の22hEDTにω=343°W δ=15.0" ι=13°となることが参考になろう。
Appendix および少々のOutlook
先に述べたように、Don
PARKER氏が
3 June 1997(λ=127°Ls)に下のような画像を得ている。これは見るからに相当に明るく、サイクロンの可能性がある。λは1999年の例に近い。
他方、HSTの1997年当時の火星像に次のような北極冠近くには朝の白雲が見える画像が何度も得られている。季節には幅があって、ここに掲げるケースでは、それぞれλ=139°Ls、λ=145°Ls頃である。
また、1999年のλ=167°Lsに次のようなMnの観測の例があるので序でに挙げておく:
このときにはターミネーターが見えているから、白雲は夜明け前に発生し、内に入ってきているのが如実である。季節はやや遅い。2014年の場合 この季節は25Julyころになり、δは10"を切っている。
以上、逆に言えば多分λ=100°Ls以降は、マレ・アキダリウム近辺に限らなければ、いつでも北半球高緯度に濃い朝雲が起こる機会があると言って良いと思う。というのは既にヴァイキング・オービター1号によってλ=105°Lsやλ=126°Lsで北半球型のサイクロンが検出されているからである。このことはCMO
#184 (10 Feb 1997) で述べたことで、
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/184/cmo184.html
を見られたい。