中 島 孝 氏の手記
《かれこれ十五ヶ月、やっと徒然なるままに書き記す意欲が出てきた》
CMO #413 (25 August 2013)
昨年2012年3月17日(土)、孫の陸斗くんの卒園式(9時〜11時小鳩幼稚園)から自分ひとりだけ帰宅して、思い立って小雨の中、近くのコンビニへ(いつもは車なのに)徒歩で出かけようとした。11時半頃、家を出て舗装道路を三分ほど歩いたとき突然前方に転倒し額やひざを打ち眼鏡を傷つける。立ち上がろうともがいていたとき走行中の車から若い女性が二人降りてきて助け起こしてくれた。自宅は何処かと訊かれたが電信柱ふたつ分の近さだからもうけっこうですと断ったところ両腕を二人で抱えるようにして玄関まで連れてきてくれた。生活道路なので近くに住む人たちかもしれないし、その後も路上で出会っているかもしれない。迂闊にも礼を述べ名前を確認することを失念してしまった。家人は留守だったので報告するまでもないと判断してその日をいつものように一人で過ごす。
翌18日(日) 妻照子と娘の恭子、陸斗の三人は名古屋(長久手市)の親戚へ向かう。予定していた火星通信CMOの丁合作業のため午後1時過ぎ、眼鏡を換えて三國緑ヶ丘の南 政次氏宅へ車で出発。所要時間三十分くらいだがいつも余裕を持って出かける。途中いつになく二回路傍に停車して小休止をとる。二時間ほど、手作業が少し鈍いと思いながら丁合を行い、帰路海外向けの冊子を携えて走行中、除雪の目印のために(?) 設置してある鉄柱列に続けて二回飛び込むように接触し、バックミラーを脱落し、ドアも破損してしまう。市街地に入って、交差点で停止中になぜかエンジンが止り、日曜日の夕方なので直ぐ渋滞するなか、渾身の力で歩道に自力で運び上げること二回、エンジン始動が二回とも回復しどうにか福井南郵便局に着き、無事欧米・東亜細亜へCMO発送を果たすことができた。昔は後ろの車の人たちが手助けしてくれたものだが。その後エンジントラブルはなかった。
夜、この二日間の出来事を想い起こしながら過去二年程の間に身に起こった幾つかのことが連想されてきた。ある夕べ、知己T氏と近所を歩行中 (30mほど歩いて) 急に前倒し額を打ちつけることがあった。通りすがりの人たちが救急車を呼ぼうとしたのを断った記憶がある。またある朝、ごみ出しのため自転車に乗ってごみ袋を運んでいるとき、水田に引くために勢いよく流れている路肩の用水路に自転車ごとズルズルと嵌まり込み、暗渠の中に引き込まれそうになった。通勤ラッシュの中、二台の車からOLとおぼしき女性通勤者が二人飛び降りてきて自転車ごと引き上げてくれた。女性の一人は衣服を濡らしてしまった。礼を述べる前に二人は急いで立ち去ってしまった。感謝の念を抱きつつ現代の若い女性の優しさに余裕があると心に沁みた。更にある夜、ベッドで書見中起き上がれなくなった。腰に全く力が入らず床に立つことができなかった。大声を出せば在宅の息子夫婦に聞こえるはずだが、それほど緊急な事態とは思われなかったので床に滑り落ちて二時間ほど横たわったまま悶々としていたら腰力が回復し平常に戻った。午前2時頃だった。この体験と同じことが再度あった。また、冬の或る昼下がり、階下の畳敷きの部屋でしゃがんだ途端にゴロッと横に転がり、そのまま立てなくなってしまったことがある。掴まることのできる柱まで汗だくで軀を蓑虫のようにずらしながらやっとの思いで辿りついた。更に、福井市自然史博物館で火星観測中のことだったが、ドーム内で望遠鏡操作のため脚立に登った際バランスを崩して軀ごと落ちそうになったことが二度三度あった。この一連の出来事を考えながらひとつ思い浮かんだことがあった。十数年ほど前にまだ高志高校在任中に罹った変形性膝間接症と椎間板ヘルニアのことだった。そのとき完治したと思っていた膝か腰の症状がぶり返したのではないかと考え、当時の主治医だった佐藤医師に相談することに決めた。19日(月)佐藤整形形成外科で受診し、問診を行った佐藤医師は自分の専門分野の症状ではないように思えるので神経内科の専門医師にかかるように勧めてくれた。21日(水)に大滝東クリニックの宮地裕文医師の診察を、22日(木)に福井大学附属病院の鈴木友樹医師(総合)と中地亮医師(内科)の診察を受け、MRIやCTスキャン、血液検査等を行った。23日南氏に近況を報告し、火星観望の一般公開に欠席することになった。
30日(金)愈々検査結果の告知の日を迎えた。午前は福井大学病院へ、午後は大滝東クリニックへ夫婦と恭子の三人で出かける。パーキンスン病ではないかと一時おもったが見立ては両病院とも全く同じで、れっきとした糖尿病患者であると宣告された。今後定期的に診断を受けるクリニックを距離的に便利な大滝病院とした。血圧の降圧剤とすい臓からのインスリンを促す経口血糖降下剤を使用し、食事管理は病院の栄養士のアドバイスを受け、更に適当な運動を継続的に取り入れる。糖尿病は完治することを性急に期待せず、焦らずに一生かける生活習慣病であることを認識するよう諭された。
管理栄養士が示してくれた食事の献立表を見たときひと月や二月ならともかく我慢して何とか耐えられると思ったが、半永久的禁止事項には精神のストレスを高じさせる恐れがあると考え、近くの市立みどり図書館に通い糖尿病について勉強することにした。最近はTVの番組で取り上げることも多く、よく視聴してきた。ネットには最新の情報が満載されている。図書館から借り出して糖尿病の名が付いている書名の本を次々と読み込んでいくと内容についてひとつの流れ・傾向が見えてきた。それは、10年以上前の出版物とこの二三年に出版された書物では、前者は大上段に構えた語調で、「これするな、あれするな」式のDon’t型が多いように思える。後者は「楽しく取り組む」Enjoy型が目に付く。表現傾向だけでなく中身の議論にも時の流れが見られる。TVのゲスト医師が三人いると発言が微妙に三人三様で、同時発言なので視聴者の理解が迷路に迷い込んでしまう。そのように番組演出をしているのではないか、とも疑う。また、糖尿病というネーミングが誤解の元であることも徐々に解かってきた。一般に家族は生活習慣がよく似て、食材・調理やおやつなどの嗜好品が同じであることが多いため食事関係でよく似た症状を引き起こすので遺伝的と思われがちである。そこで「細血管と血糖の問題」くらいに解釈している。ビョーキと云うので不治の病を宣告された、と悩んでしまい、軀のどこかが弱る、痛む、苦しいといった自覚症状が全くといって無いので多くの人が、時が経つと開き直って元の木阿弥になってしまうのではないだろうか。自覚症状があったときは既に手遅れで不治の合併症に陥ってしまう。
合併症も名前が少し曖昧だ。食生活が豊かになり糖質(穀類)を大量に頻回に食べるようになって、血液の中の血糖が増え、それを減らそうとする、即ち血糖値を下げるのが唯一インスリンというホルモンだが、これがコントロールできなくなって細血管の中で障害を起こし血糖値を上げてしまうそうだ。30日の診察結果について翌日直ぐ南氏に報告し、火星観測は当分休止することにした。
大滝美恵医師の指導を受けて生活改善のメニューをルーティンワークの中に次のように取り入れた。薬の服用は別にしてライフスタイルの大枠をつくった。生活習慣改善というと昔懐かしい家庭の光を思い出す。朝6時起床、8時半朝食、正午昼食、午後5時半夕食、夜10時就眠。食事療法として、食事は決まった時間に摂る。食い溜めしたり、間食やおやつをとったりしない。食事は40~50分かけて一口噛む毎に箸を食卓に戻す。食事の始めは生野菜を皿いっぱい食べ(調味料を殆ど使わないのでサラダとは云わない)、惣菜中心の三食で主食(玄米飯、天然酵母のパン)は食事の終わりに少な目に摂る。次に、グルコーススパイクをコントロールするための前段階として40〜50分ほど休憩をとり、最後に約60分のウォーキングを日常化している。60分ウォーキングの時間配分は、1) パーフェクト60分、2) 朝夕に分けて30分+30分、3) 朝・夕40分+20分、4) 短縮して40分または50分だけ、と体調や天候に合わせてチョイスする。季節や晴雨に関わらず毎日実行する。こうもり傘は風雨のときは勿論、日傘や杖の役目をしてくれる。コースは今では十数ヶ所でき上がり、天候や季節に合わせて使い分けている。大きく三つに分けると、足羽川原と運動公園、飯塚・加茂河原である。2012年4月からウォーキング(散歩のようなもの)をエクササイズとして行なっているが、休活(動)したのは親戚の法事に参るため二日間離福(名古屋方面、篠突く雨の為)していた時だけである。この食事、休憩、運動の三連動活動は合計二時間半から三時間ほどかかる。朝食後、昼食後、夕食後の何れを採るかは天気予報と空模様で決めている。
外食の場合はフルコースを避け単品ものやヴァイキング方式のファミレスを利用している。いきつけにしている店舗は「アカデミア」、「旬菜」、「かあちゃんキッチン」、「馬乃屋」、「ほやほや」などである。家庭では病人食にならないよう、所謂健康食を調理している。食事の前に生野菜を皿に大盛りにして食べる以外は家族とほぼ同じ内容の食事だ。妻はカーボカウントを心がけ、糖質をなるべく制限した食材でレシピを工夫している。酒類はビールや日本酒、ワインのような醸造酒は一切口にしない。好きな麺類からは完全に遠ざかっている。果物やせんべい、ビスケット、キャンデー、ケーキ、菓子パン、酒饅頭、寿司、アイスクリームなどと打っているだけで涎が出て、つい手が出てしまいそうになる。これは子供向けの食育ではないか、と安易な気持ちになるが食事療法とは、実は不可能に近いくらい難しいことがよくわかる。いつも監視役に居てもらうことが大切である。妻が最適任である。当然、通院には同伴してもらう。
自動車の走行はもっぱら助手席を専用している。もう乗ることもないので3ナンバーの乗用車(Honda of America通称インスパイア)を手放してしまった。これでホンダと縁が切れた。N360、シヴィック、アコード、インスパイアといずれも一世を風靡した個性的な車だった。ホンダ以外ではスバル360、ほんの一時期だが日産サニー、トヨタのターセルに乗った。かつてスバル360で大阪万博EXPOを訪れ、ソ連館の巨大なスプートニクに打ちのめされ、その足で完成に近い中国自動車道を駆け抜け鳥取の砂丘へ、奇観の山陰海岸国立公園を縦走する未舗装の残る国道をゴトゴト東進して天橋立を訪れた。高速道路では軽はまだ最高速度が制限されていてトラックに追い越されるのが怖かったことを覚えている。トラックの「軽」いじめ時代だった。富士重工業のスバル360はチョコマカしているが強力空冷360ccエンジンを搭載していた。とても軽量で妹と二人、前後を抱えて横に移動し家の外壁にピタッとくっつけることができた。ある夏、家族で乗鞍岳にドライブしたとき頂上手前でドライバー達から軽でよく登れたと賞賛を受けたりした。
(血糖値に関して付記)Life with Diabetes(米国糖尿病協会ADA)の2004年版において、ADAはそれまでの提言を改めて、たんぱく質・脂質は血糖に変わらない、糖質が100%血糖に変わる、と改訂した。糖質は摂取後(食後)二時間以内で急速に吸収される。食後(の急速な)高血糖<グルコーススパイク>と平均血糖変動幅の増大が問題である。(心筋・脳)梗塞などの合併症を起こす因子になるのは糖質だけである。糖尿病の原因はたんぱく質・脂質の摂り過ぎやカロリーの摂取過多ではなく、インスリン(別名肥満ホルモン)が掌る糖質代謝の問題であることが判明してきた。糖質(胃腸で分解されてブドウ糖になる)の過度な摂取が細小血管に激しい疲弊を惹起し、長年かけて網膜障害(失明)や足の壊死障害(下肢切断)、知覚神経障害、腎不全(人工透析)等の恐ろしい合併症を起こすことがある。なお、糖質は炭水化物から食物繊維を除いたものである。具体的には、糖質を含むものは主食に相当する米穀・めん類・パン・いも類である。この見解は、米国では専門医(学者)や医療関係者、一般の人々にも10年も前から常識となっているが、日本では学的グループによっては新しい知見に反発している向き(常識の壁)があるようだ。
28 July 2013 記す