ISMO 2011/2012 Mars Note #13
ヘッラス盆地の冬の様相
クリストフ‧ペリエ
近内令一 譯
過去の観測期にしばしば観測されたことだが、南半球の冬至のあたりの時期にヘッラス盆地がかなり明るさを増すことがあり、あまりの明るさに時折、観測初心者や、たまの観測者が南極冠そのものと“勘違い”することがある。しかしながら現在の解釈では、ヘッラスの地肌に降りる霜は真の南極冠の張り出しと理解されているから、この“混乱”もあながち見当はずれではない…。この最新ISMOノートでは、2012年に観測されたヘッラスの明度増加を、火星の南半球の冬の始まりの兆しとして概観してみよう。
ヘッラス盆地の“冬期状態”は、その地肌に霜が降りている状態、と定義できるだろう。しかしながら、この巨大盆地上に観察される雲の活動もまた冬の様相の現れとして注目しなければならない。雲と霜は異なる現象であり、それぞれが独自に出現した際に的確に判断できるように、それらの見分け方も算段する必要がある。
I ― ヘッラスの地肌に霜を生じさせる物理的条件
ヘッラスの明度増加 (白化) は、その地肌に二酸化炭素 (CO2) の氷が沈着ないしは降積した現れである。これは冬の南極冠の形成と同じ現象で、大気中のCO2が凝華して地肌の上に“ドライアイス”の層ができる。平均的な火星の条件下であれば、CO2の凝華点は気温が148°K (−125°C) まで下がったときとなる。冬期の極地域の極端な低温で、火星の大気中のCO2が一部凝華してそのあたりの地面に降積することを説明できる。
しかしヘッラスは極地域内に位置しておらず (緯度範囲で南緯55°から同30°までを占め、冬期中でも数時間の日照を受ける)、従ってその極冠様の特徴を説明するためには、気温以外のさらに別の理由を探す必要がある。他の経度のヘッラスと同様の緯度の地域では、冬の期間中に巨視的には霜の形成は認められない1)。ヘッラス巨大盆地の深さは数kmに達するため、盆地内の平均大気圧は周囲の地域より高くなる。結果として、CO2の凝華点はやや“より暖かい”気温条件に位置することになり、従って地表温度が148°Kまで下がらなくても固体CO2の降積が可能となる。
II ― 1997年のHST画像のケースによるヒント
1997年にHST (ハッブル宇宙望遠鏡) は観測期間中を通して多数の火星の連続撮像を実施し、そのうちの二画像が幸運にもヘッラスの初霜の前後短期間での様相を捉えており、我々は非常に有益な高解像度データを手にすることができた。初霜前の画像群が得られたのは1997年3月10日 λ=089°Ls
(ID:6852) であり、初霜後のシリーズは3月30日 λ=097°Ls
(ID:6741) に撮像された。
RGBカラー合成画像で明らかなように、3月10日には盆地内にドライアイスは全くないが、雲の発達は見られる;しかし20日後には盆地の端まで霜で被われている。これらのカラー画像は撮像当時広くマスコミに公開されたポピュラーなものであるが、ここではHSTのアーカイブから対応する赤外光画像を二片選んで図1に加えた。
図1:1997年にHSTによって観測されたヘッラスの冬期の様相 (3月10日及び30日)。この巨大盆地の20日間での明度増加が明瞭に示されている。
IR
(赤外光) 画像はそれぞれF953N,及びF1042M用フィルターで撮像された。
但し、3月10日の画像は通常のRGBフィルターで撮られたものではないので、ヘッラスの輝度の判定という点では信頼度が低いことに注意。
これらの画像の比較は興味深い。なぜならば、近赤外光は白雲を透過してその影響を除外すると考えられるので、ヘッラスの底面のみの変化の観察が期待できて、この波長での盆地の地肌の高アルベドー (反射能) は氷の存在を示すと解釈できるからである。しかしながら、IR光使用の不利な点があることも知っておく必要がある:ドライアイスのアルベドーは (水の氷と同様に) 近赤外域では非常に低くて、通常我々は極冠と周囲の明るい領域との間のコントラストの顕著な低下を見る。だから、このようなフィルターを透すとヘッラスの霜は鈍い明度で見られることを頭に置こう。
さて、3月の10日と30日の画像セットを見比べて次のようなことが言えるだろう:
1) 雲が先に形成される (3月10日)。
2) ヘッラス盆地の内部に暗いピンク色の領域が垣間見えるならば、盆地には霜はないか、あるいは部分的にしか霜が降りていないことになる (10日)。
3) RGBカラー画像での霜のアルベドーは雲のそれよりも低い (3月30日)。
4) もしヘッラス盆地が霜で満たされているならば、霜の降りている部分は盆地の地質学的な形状に沿ったシャープな辺縁の様相を呈するだろう (30日)。
5) ヘッラス盆地の外側に霜の降りたクレーターが認められるかどうかは、盆地内に霜が存在するかどうかと高度の相関がある。ここでは特に30日の画像上で比較的大型のTerbyクレーターがヘッラスの北西部の縁で (西経285°、南緯28°) 霜に満たされて見えていることに注目しよう。
6) 近赤外画像では、3月30日にはごくわずかのアルベドー上昇しか認められない;しかしながら対応するRGB画像で見える厚い雲の条は、近赤外画像で完全に消えてはいない。従ってここでは、IR光による雲霧貫通お助け効果は完全には発揮されていないようだ。
III ― 2012年のケースの検討
2012年にはアマチュアによる多数の良好な画像の恩恵を受けた。しかしながらここで思い起こすべきは、画像セットの中でR、G、Bそれぞれの単独の画像を独立して提示することがいかに有益か、ということである。良好なRGBあるいはLRGB画像は悪くない (RRGBはよくない) が、波長域ごとの分離した画像の観察によって、雲を見ているのか、地肌の上の霜が見えているのかの判断が大いに助けられる。この分析にはIR画像も大歓迎である。
A相:雲の発達
2012年の2月一杯を通して
(λ=060°~076°Ls、南半球の秋の後半) ヘッラスは未だ古典的外観を呈していて、明るくなく、ピンクっぽい地肌が容易に見分けられ、周囲の高い山の連なりに対応する暗色の縁取りに囲まれていた。その南端すれすれに形成中の冬期極域フードに属する雲が時折垣間見られた。この形成が変化したのは2月下旬で、ヘッラスはヨーロッパの観測者たちに顔を向け始め (2月25/26日 〜λ=075°Ls)、盆地そのものの内部にも雲が見られるようになってきた (図2)。
図2:雲の発達。λ=070°Lsではヘッラス盆地に雲はなく、地肌がよく見えている。盆地の南端すれすれに辛うじて雲が見えている。λ=076゚Lsからは盆地内部に雲が生じている。画像はTrevor BARRY、Christophe PELLIER、Sean Walkerによる。
B相:雲が明度を増加させる
その内部に雲が現れ始めたとはいえ、2012年の3月の前半
(λ=077°~083°Ls、南半球の晩秋) には盆地は未だ明るくなかった。この季節最初の明るいヘッラスは3月17日、λ=084°LsでStefan BUDA
(SBd) により撮像されたので、ヘッラス盆地の明るい雲の出現開始はλ=083°/084°Lsあたりの日にちと判定してよいだろう。3月20日 (λ=086°Ls)
にAnthony WESLEYが取ったRGB画像には1997年3月30日のHST画像とよく似た様子が示されており、鈍い灰白色に見えるヘッラス盆地を明るい条が横切っている。翌日 (3月21日) には眼視観測者の近内令一 (Kn )がスケッチの備考に記しているところでは;“ヘッラスは大きく、少々明るく、けっこう青みを帯び、境界は明瞭でない”とある。しかしながら、霜が既に降りていたようには思えない。というのは、同じ日に阿久津富夫 (Ak) が撮った完全な画像セットでは、ヘッラスの中央部はRGBであまりに淡く、IRではあまりに暗く見えていて、地肌にようこそ霜降れりという状態には思えない。むしろこの画像セットでは、ヘッラスの北縁に沿って明るい雲帯が見えていて、これはよく見られる形状であり、その理由として多分このあたりは南半球の冬至期の大気大循環セルの極側の縁であり、循環セルの下降枝は急勾配で巨大盆地の最深部に降りて行き、雲帯が形成蓄積される壁を形成するからだろう。この雲帯は明るいヘッラスの辺縁部を不明瞭にする;これこそがKnがヘッラスの境界不明瞭とコメントした原因だろう。またこの辺縁の不明瞭さによってこれが霜でないと判定できる。霜ならば明部の辺縁はシャープになってしかるべきである (上記II項:1997年のHST画像のケースによるヒント、を参照)。ほぼ同様の様相が進展しないまま、3月25日のAkの画像でも観察されている。画像及びスケッチは図3参照。
図3:明るい様相のヘッラス。雲による明度増加で、多分霜の降積ではない。
C相:ヘッラスの地肌に初の着霜?
地表へのCO2の氷の沈着の分析は極めて難しい問題である。なぜならば、ドライアイスと白雲を見分けなければならず、また形態学的に判定しようにも、今日のアマチュアによる火星画像の質的向上は著しいものの、その解像度は霜の存在を見分けるという点では、よくてもまあまあで、決定的というには程遠い。2012年3月30日、4月1日及び2日 (λ=090°/
091°Ls、南半球の冬至) にDamian
PEACH (DPc) が撮ったヘッラスの高解像度画像では、巨大盆地は目一杯に明るく、辺縁は境界鮮鋭で、いまや降霜せりと判断できた。しかしながらTerby クレーターは判別できないが、これは解像度が未だ不足ということかもしれない2)。(訳者註)
図4:Damian PEACHによる南半球の冬至の火星画像。ヘッラス盆地は鮮鋭明瞭な辺縁境界を見せていて、霜で完全に満たされていればかく見えたるべしという見本と言えよう。
さてここで振り返るべきは、先のISMOノート#11で扱った“ヘッラス逸流白雲”についてであろう3)。この白雲は南半球の冬至のあたりの時期に観られ、ヘッラス盆地内部の着霜と高度の相関があるように思われる。この逸流白雲はヘッラスの着霜ステージよりも前の時期から見られるが、明るさのピークに達するのは盆地内に霜が降りてからである。従って、2012年に冬至以降この逸流白雲が顕著に認められたことから、DPcによる図4の画像や、同時期に撮られた総ての画像に霜の降りたヘッラスが示されていると考えてよいだろう。
最後になるが、2012年の4月、5月 (冬至の後) に撮られたIR画像を検討すると理解に役立つ。これらの画像ではヘッラスが普段よりも明るく見えている。図5に示す画像は、Peter GORCZYNSKI (PGc) 4月10日撮像、同11日にPaul MAXON
(PMa) 撮像 (SAFのギャラリーから)―ともにλ=095°Ls―、そしてとりわけPMaによる5月18日 (λ=112°Ls)
及び20日 (λ=113°Ls)
の画像ではヘッラス盆地は紛うかたなく明るく見える。終わりに示したこれらの画像はヘッラス盆地内の着霜を決定的に確認する“硝煙漂う銃口”(動かぬ証拠) であろう。
図5:初冬のヘッラスの赤外光画像。比較的高いアルベドーのヘッラス盆地の画像は、霜の沈着の証拠に間違いないだろう。この波長域でのこのような見え方は雲のみでは説明し難い。
結 論
2012年のヘッラス盆地は、以下の三段階を経て冬期の様相への到達を見た:λ=075°Ls近辺 (盆地内での雲の出現)、λ=085°Ls (雲の明度上昇)、そしてλ=090°~095°Ls
(ヘッラスの地肌への霜の降積)。これらのタイミングは1997年のHSTの観測や、同時期のCMOチームの観測の結果とよく合っている―南 政次の結論には“λ=085〜090°Lsでヘッラスは非常に白っぽく明るくなり、その白色味の強い輝度をλ=140〜150°Lsまで保った”とある4)。しかしながら著者は、他の多くの火星の気候的現象と異なって、ヘッラスの降霜は火星年毎に一定の太陽の火心黄経に相当する時期に起こるとは限らないと考えている。発生タイミングには火心黄経幅にして5~10°Lsの偏差があり得ると思う。これは将来の興味深い研究課題と言えるだろう。
2014年には、衝の何週間も前にヘッラスの新たな冬景色の到来を観ることになる (λ=090°Lsは2月中旬の視直径10″あたりである)。そしてこれが、このところの火星接近15年サイクルの中でその様子を詳しく観測するラストチャンスとなる。しかし来期には、ドライアイスの昇華でヘッラスの冬化粧が剥がれ落ち、素顔に戻り行く様をじっくりと観察できるだろう。
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(脚 注)
1) CO2の霜はより小さなスケールでも観察できる。たとえば高緯度のクレーターの極に向いた斜面では日射の角度が非常に低いために地表の温度はCO2の凝華点まで下がる。
2) 白変したTerbyクレーターは2012年のMROの動画に見えている。この様子はずっと早くから、おそらく3月中旬から見えている――しかし、解像度は高いものの、火星の地表に近い低軌道の衛星からの画角ではヘッラスの緯度範囲の状況は判り難い。
3) 2011/12 CMOノート(11):冬至あたりに見られるヘッラス逸流白雲 (クリストフ・ペリエ、近内令一譯) CMO 日本語版 第409号 (2013年四月25日号)
4) しかしながら南 政次は、ヘッラスの輝度は一定でなく、若干の蔭りも時折観察できたと書いている。 ―顕著期から衰退期に掛けてのヘッラスの動向― 1996/97
Mars Sketch (5) CMO #203 (25 May 1998) を読まれたい。また、さらに南による“たかがヘッラス、されどヘッラス”(1995年のヘッラスはいつ明るくなったか) From CMO
#174 ( 25 April 1996 )-- 1994/1995 Mars Note (10) -- も参照されたい
(訳者註):訳者の眼では、図4の中央の画像 (Damian
PEACH、01 April 2012 20:48GMT ω=304°W λ=091°Ls δ=12.5″ ι=22° φ=22°N) で、ヘッラスの縁で正中よりやや左 (東) 寄りにTerbyクレーターが解像度の限界近くでやや膨満しているものの、辛うじて見分けられるように思えるのだが、見過ぎであろうか。