最近読んだRussell
McCormmachの1982年の著書“Night
Thoughts of a Classical Physicist”は面白かった(訳者註:邦訳あり:ある古典物理学者の夜想 小泉賢吉郎訳 培風館
1985年)。主人公はVictor
Jacobという架空の、ドイツの小さな大学の物理学教授。老齢で物理学者としての人生を終えようとしている。1)
自分のキャリアのほとんどの期間を通して親しんできた古典物理学が相対論そして量子物理学という新理論によって覆されるという事実、
2) そして第一次世界大戦での迫りくるドイツの敗北、この二つの過酷な現実に彼はしばしば自滅的な対処を試みる。
筆者自身もこのところ同様の想いを抱く機会があった
(上記の小説の主人公のような破滅性はないが)。最初に観測した衝が1965年3月である筆者自身も、火星観測者としての活動の来たりくる終焉を感じ始めているからである。筆者にとってある意味寂しいのは、偵察衛星が飛び交い、ローヴァ―が火星上を走り回るこの惑星探査の躍進時代とて望遠鏡による古典的な火星の眼視観測研究がますます無意味と見なされていく現状である。
ほとんど毎年のようにここ何年も古典的時代の惑星観測の巨星たちが墜ちていくのを続けざまに目の当りにする。筆者の知る限りでも以下の偉大な観測者たちが世を去った:1986年に亡くなったChick
Capen、1996年にClyde
Tombaugh、1997年のLeonard
Martin、2003年にTom
Cave、2007年にTom
Back、そして2010年にはAudouin
Dollfusが儚くなった。CMO最新号
(#404、2012年11月25日)
の告げる筆者の盟友、南 政次と中島 孝の覚束ない健康状態については危機感を持って読まずにはいられない。福井市天文台を拠点とするこの二人の偉大な火星観測者たちは伝説的な佐伯恒夫の遺産を継承・批判・発展させ、1954年以来非常に信頼度の高い入念な火星の眼視観測研究を継続してきた。今年彼らは共に、火星がまだ観測好期にあるときに望遠鏡からの撤退を余儀なくされた
― 中島は糖尿病による消耗から、また南はパーキンソン氏病によると思われる合併症により。南が倒れたのは3月27日の観測を終えた直後である
(彼は冷静にこの最後の観測時のデータを記録している:λ=089°Ls、δ=12.9″)。今接近期の彼らの観測活動は病によって切り詰められてしまったとはいえ、それぞれ二百葉に近い火星スケッチを何とか得た
(通常の衝期には彼らのスケッチ数はそれぞれ桁違いの一千葉に迫る)。彼らの健康が速やかに回復し、彼らが愛しむ火星との徹夜の逢瀬を再び重ねられることを切に望む。とは言え我々はまた、これらの火星の鉄人たちさえ永遠には観測を続けられないことも理解している。彼らの世代
(筆者の世代でもある)
は必然的にかつ容赦なく舞台を退かされる定め;非常に実り豊かだった火星の眼視観測の時代の幕引きに差し掛かるのだ。彼らの後任は何処に? そもそも替わりの人材など見つかるのだろうか?
CCD撮像者たちに圧倒されて眼視火星観測者の影はますます薄くなっているが、古典的な眼視観測者の活動が役立つ分野がまだあるという議論も可能である。CMOでの南 政次のエッセイやレポート、また大英天文協会BAAでの南に相当する火星課長のRichard
McKimの機関誌JBAAにおける評論には、眼視観測者たちが望遠鏡サイドでこつこつと収集したデータやプロジェクトが未だに多数収録されている。彼らのご先祖様ともいえる人々-
Schiaparelli、Trouvelot、Barnard、Lowell、そしてAntoniadiが実施していた正統真正お墨付きの観測記録法が今でも全く変わりなく使われている。必然的に小望遠鏡による眼視観測法の貢献は火星の大気現象と表面模様の低解像度レベルでの研究に限られることになる。太陽系最大の砂塵嵐を誇るこの惑星については、眼視観測者は自分たちのデータを歴史的な観測記録と比較対照することでこの大気現象の研究に貢献できる―特記例を挙げれば、たとえばMcKimによる過去に観測されたダストストームのカタログは、この著しい火星の気象現象を引き起こす原因とその活動の多様性をもたらす要因についての長期の展望による理解を深めるのに重要な貢献を成した。
南や中島のような観測者たちを望遠鏡を抱えた火星の寝ずの番の継続に駆り立て、遂に倒れるに至らせるものは何だろう? 気質か? 執念か? それとも究極の就業倫理観念か? いや、彼らが入れ込む「惑星の本性を理解するために貢献したい」という焼け焦がすような願望に違いない。彼らが並ぶ者のない火星の研究者であり、地球上からの観測という制約内の上限で火星上の大規模な気象学的現象をかくも長きにわたり余すところなく記録してきたことに異論を挟む者はいない;しかし同時に、彼らが絶え行く系統であり、ある意味自動車の時代の馬車のように時代遅れではないかと問うのももっともである。
ある古典的火星観測者の夜想に模した筆者の問いかけに対する解答はは実のところどうなのだろうか?CCD全盛、そして、かの隣在惑星を宇宙船が周回し、探査車が惑星上を走り回るこの時代においてもまだ眼視観測者に何か役に立つことができるのだろうか?
筆者がこのテーマに挑んだ理由は
(そして読者もどうかこの主題について意見を寄せてほしい)、南や中島のような眼視観測者の仕事の最も有用な面は、彼らの記録が単一の観測者が同じ望遠鏡を使って実施した60年にもなろうかという長期の観測から成っており、それ故、記録に示されるいかなる変化も観測者側の変化ではなくて、高い妥当性をもって実際の火星上の変化とみなし得る、と考えるからである。別な言い方をすれば、個人誤差が排除できるということである
(そしてCCD撮像者たちさえそれぞれの個人誤差を持っていると言えないだろうか?)。Percival
Lowellが、かつて述べたところを引用すれば、「多数の火星のスケッチを比較するならば、描き手は一人でなければならない」。
彼らの観測年表の正真正銘の長さは、細心の注意を払って収集された、これらの記録に絶大な価値を与えている。宇宙船からの観測の時系列表示がどんどん蓄積されていったとしても、眼視観測者たちの記録は、科学者たちが火星の広域の環境での長期タイムスケールの変化を相互に対応比較する上で潜在的に有用であり続けるだろう。この有用性の点で類似例を挙げれば:19世紀の気象学者たちの気温測定記録は二酸化炭素濃度の上昇が気候の変化に及ぼす効果の立証に役立ち、眼視による恒星の光度測定は長周期の激変型変光星の変化の判定をもたらし、また古代の肉眼的太陽黒点や大流星の観測記録も貴重な資料となる
(後者には日本の偉大な天文学者長谷川一郎編纂のカタログがある)。
Niels
Bohrが提唱した対応原理によれば、量子力学でプランク恒数を0と見なした極限において古典物理学で得られた公式が導かれる。同様に、軌道周回衛星と滞在型探査機によって得られた火星の現象についての新しい“量子的”微視的見解は、古典的な鍛錬を経て熟達した観測者たちが望遠鏡を通して目を凝らして得た観測記録をより好く分析解釈するのに役立つだろう。
***
数年前、筆者はローヱル天文台のスライファー棟
(1916年建設)
の台長室のソファーに座って当時の天文台長Robert
Millisと話していた。我々が回想していたのは、1894年にPercival
Lowellがこの天文台を開設して以来この施設の研究は火星に特化していて、どの時期にも必ず最少でも一名の火星の専門家を擁していたということである
(設立当初はもちろん開設者その人)。Lowell亡きあとは卓越した惑星写真家Earl
C. Slipherが火星を撮り続けた。Slipherが引退したあとはChick
Capenが火星専門家の役目を引き継いだ。そして1970年代初頭に火星担当として就任したLeonald
Martinは最も優れた火星のダストストームの研究者の一人であり、この天文台の百周年記念のすぐあとに退職した;彼は心臓病を患っていてほどなく世を去った。(筆者の著書“The
Planet Mars”の書評をSky
& Telescope誌に載せたのが彼の火星に関する最後の寄稿であった。) Martinが退職した時、Millisはもう火星の専門家をローヱル天文台に雇用しないと決めた。
彼が語った理由は:火星はもはや天文学者の関わるところではない。いまや火星の面倒を見るのは地質学者と気象学者である。軌道周回宇宙船が定常的に調査監視を実施し、探査機が表面で直に試料を採取し続ける惑星について天文台が時間を割く理由はもはやない。
実際のところ、本稿を執筆しているこの時点-2012年11月-において火星は5機もの現役宇宙探査装置の宿主となっており、そのうちの3機、Mars
Odyssey、Mars
Express、そしてMars
Reconnaissanceは火星軌道を周回しており、そして他の2機、火星探査機Opportunity、及び火星現地科学実験室Curiosityは火星上で活動を続けている。実際上、火星から流入し続けるデータの解析に当たっているのはもはやローヱル天文台ではなくて、USGS
(United States Geological Survey アメリカ地質調査所;フラグスタッフに支局の一つがある)
である。
クリストフ‧ペリエはマドリッドで開催された欧州惑星科学会議の最新のレポート(CMO#404に掲載)
の中で『現代のアマチュア観測家が普通に備えている能力によって火星の大規模な気象学的現象は総て観測可能である;但し地球からの観測しかできないという制約は仕方がない(たとえば我々には火星の丸ごと一年を通しで短期間に観測することは不可能である)』と述べているが、次のようにも付け加えている:『しかしながら、長期に渡って火星を周回し続ける複数の長寿命衛星探査機がもたらす観測データの質はレベルが高く、火星の気象を研究するに当たってアマチュアに興味深い貢献のできる余地はもはや少なく、この点で目立った例外としては欠け際の明突出の観測が挙げられるくらいだろうか』。もちろん、上に記したように、Schiaparelli、Trouvelot、Lowell、そしてAntoniadi他の観測者たちが彼らの望遠鏡と独自の方法で観測していた時代に遡る記録をしっかり保持することによって何らかの知見を得られる可能性があることは今後も変わらないだろう。かつて現今の世代の火星観測者たちが育った時代には、火星は小さく、いつも変わらず神秘的な円盤像で、多大な想像力で補わなければその表面模様の捉え難く微妙な詳細を把握することは困難であった。眼視観測に夢中になったその世代のようには、残念なことに、眼視観測記録の保全活用プロジェクトに魅力を感じる若い観測者は多くはないだろう。火星は空想の王国を去り、現実の領土に来たった。そして我々のある者にとっては“痛みのない変化は来ない”時代となった。
(この稿続く)