これまでCMOでは何度も書いている通り、われわれは火星の黄雲は上昇は續けるが、移動はしないという立場を採っており、黄雲が颱風やハリケーンのように動き回らないと考えている。特に2005年十月の黄雲現象と觀測は是を支持している(註1)。更に遡れば、もっと大局的な黄雲でも、その細かな移動は觀測されていないこと、特に昼間においてそれが見られないことは何度も經驗し、筆にしたことである。勿論、翌日には黄雲は寧ろがらりと様子を換えることは何度も經驗した。
是を以て黄雲が移動したと考える輩が今でもいる。毎日の觀測を並べ、パッチワークのように黄雲の移動圖を描き出して送りつけてきた所謂大物もおった。CMOでは斯様な作業は大物と雖も掲載せず排除してきた。何故か。昼間に於いて變化を見せない黄雲が夜間變化するとは考えられないからである。結論から言えば、黄塵が大きく變化するのは朝方のことで、是は移動というより新しい再生であって、全く別物と考える方が眞に近い。夜間は沈静化する。これは寧ろ、昼間に見られる多分回轉を伴った耀きとは無縁のものである。勿論、内部的にはポテンシャルを持っていて、夜間に消滅しなければ、朝方再生するのであるが、是は移動とは全く違った現象である。たとえ生き殘ったとしても形も變えてしまう。昼間に黄雲の際立った活動を誰も見ていない以上に、朝方の再生する黄雲に翌日も同じ形状は期待できないのである。
尤も、火星面全體が黄雲まみれになるような、後期の黄雲活動は別に考慮する必要がある。この時は既に火星大氣全體の動きも含めて大氣構造が通常と違ったものになっている。例えば最早白雲活動は見られず、水蒸氣活動は蔭を潜める(註2)。山岳雲といえども然りである。2000年代初めにわれわれは經驗したことである。多分夜間も同じであろう。
一方、このような後期の柔らかな活動をしていた黄塵もやがては大きい粒子からはやく地上に落下し、大氣は上層大氣から早く清浄化する、と同時に通常の火星大氣に戻ってゆく。勿論完全清浄化などはあり得ず、黄塵のいくらかは大氣に殘っていようし、再び朝方の大氣の擾亂によって黄塵が活動する場合もある筈であり、火星の氣象とは細かな塵を含めて黄塵が織りなす大氣現象であって是が常態なのである。地球の大氣と比べるなら、水蒸氣が火星では黄塵なのであり、地球に水蒸氣が豊富なように火星では黄塵が豊富なのである。ただ大きな違いは、地球の水蒸氣は氣温との調和が好く、水蒸氣は氣温を夜と昼の差に然程影響されないのに對し、火星の黄塵に依る大氣は、謂わば砂漠が大氣化したようなもので、氣温の日較差が激しく、氣温に遙かに敏感で、昼のポテンシャルを夜まで持ち越すことはないのである。大氣を持つ地球でも砂漠などでは見られる。 その爲、火星での日較差が昼の黄雲を夜まで持ちこたえられないのである。つまりは黄雲の移動など夜では到底考えられない。
では、翌日も黄雲が同じ様な場所に見られることがあるのは何故か。それは黄塵の潜在能力が強力で黄雲を醸す氣象條件が未だ似ているからであろう。然し、多くの場合、同じ場所ではないであろうし、また黄塵自身にも非連續的な變化が起こっているはずである。
兎に角、水蒸氣による大氣現象と、砂塵による大氣現象の差は大きいもので、混同してはならない。火星の觀測とはその差を極めることであり、地球の大氣と火星の大氣が同じであるという考えは捨てて掛からねばならない。
ただ、火星にも水蒸氣による現象が遺っており、それは特別に扱わなければならないのは當然である。然し、苛酷さは相當なものであり、安易にアナロジーを使うことは禁物である。
(註1)われわれが具體的にどう考えているかについては、CMO #324 (15 Oct 2006)のNote (7) “Miracles
occurred on 18 October 2005” Mars Note (7) in CMO #324 (15 Oct 2006)を見られたい。ここには一火星日乃昼間、黄塵が連續してどう動くかについて、多數の畫像を並べて示している。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/CMO324.pdf (p0478-)
(註2) この近い具體的な例は2001年の折の大黄雲が火星面を覆った時に觀測された。白雲は完璧に駆逐され、夜も昼と同じ様であることが示唆された。