ずれずれ艸
ハリー・ジェームズと三舩優子の"The Man I
Love"
南 政 次
CMO #389 (25 September 2011)
2009/2010年の私の火星觀測は最近では質・量ともに低迷し、今になって忸怩たるものがあるが、一つには火星の正中高度が高くて、若いときのように首が回らず斷念したことのあること、二つには一寸2009年のパリ/ムードン會議の疲れがあったのかも知れないこと、三つには何よりも季節が冬季で天候が好くなかったことがある。しかし、好く思い出せないが、直前にこの「音樂」を聴くと空が晴れて來るという神話みたいな事を書かなかったであろうか。實はその「まじない」を果たさなかったのである。というより、2009/2010年はその準備の氣力も無くしていたと言った方が好い。
この「音樂」の効用というの次のようなカセットテープにある。
もう二十五年も前になるが、1986年の火星接近の折、私は臺北で觀測していたが、ハレー彗星の時に日本からアマチュアの觀測隊がやって來て、臺灣南端の墾丁に向かい、私も誘われ、火星が氣になったが、同行し、その中に奈良女子大の大學院生がバスの中などでウォークマンで好く聴いていたのが、そのカセットテープで、歸りに私に殘してくれたものであった。兩面にショパンのBalladesとScherzosが全部入っていて、私はその後、孤獨なドームの中でヘッドフォンで好く聴いた。どういう譯か、聴くと火星が雲間に現れてくるので、これは縁起のいい曲だなぁと思っていたのである。ハレー彗星を二回目に國立臺灣大學の教職員とその家族の大隊の墾丁行きに鄭先生(日本語はお得意)や施さんに誘われたとき(私がスライドで講演し、鄭先生が通譯することになっていた)、決行日の空は好い状態でなく鄭先生は氣が氣でないらしく(これも既に書いたが)途中の食事處から「我ら先に行く」と中國語で書き置きし、タクシーを捉まえ、林松南君と私を乗せて先に奔った。前に書いた通り、ハレー・ブームは凄まじく最高潮で、街道は南に向かう車や人積みトラック、オートバイで一杯であった。雨が來てもこうであったであろう。ブームの火附け役は圓山天文臺の蔡章獻さんで、蔡臺長説というのが各種新聞で毎日煽っていたからである。
私はタクシーの後部座席でヘッドフォンでショパン(中國語では簫邦の竹冠が艸冠?)を聴いていた。鄭先生が未だ空が心配だなぁと何度も仰有るので、私は大丈夫ですよ、晴れますよ、私は「おまじない」(註1)の音樂を聴いていますから、と應えたものだが、案の上、墾丁に近附くに聯れて、星が見え始めたのである。タクシーの中からもハレーは見え出した。鄭先遣隊が墾丁でハレー彗星の下見を完了した頃、大隊もやがて到着し、無事講演その他觀望會は終わった。日本隊の時より食事は派手ではなかったし、休むベッドも何とか「中心」(センターのこと)で狹かったが、愉しいところであった。以來、私のこのテープへの信ョは厚かったわけである。
そのテープが廿數年ぶりに見附かって(註2)、冬の2009/2010年の觀測の時には天候が危ぶまれたので聴こうと思ったのであるが、實際はまた失ってしまったのか、氣力が萎えてしまったのか、もう思いも及ばなかったのである。今度はと思って今探しているが、何處に行ったか、ガラクタに紛れて出てこない。曲は判っているから他でも代用出來るが、そこはちょっと違うのである。何となくあのテープでないといけない、と思うのである。因みに演奏者の名前も憶えていない。二十五年經って今やCDにも出て居ないであろう。有名なバラード一番op23やスケルツオ二番op31を今でも聴けば當時の不思議な雰囲氣を思い出すが、どれも違うなぁという感覺が出て來て直ぐ止めてしまう(但し不思議なことに古色蒼然たるラフマニノフの演奏は例外で、最後まで聴くが、これでは勿論ない)。(後書き參照)
私はもっと昔、學生時代ブラームスの交響曲が好きで、樂譜も讀めないのにスコアなどを買ったりして、柳月堂や百万遍の「らんぶる」などで好く聴いたものだが、大學院初期のときだか(と言うのは紫野の下宿を思い出すからである)知人からラジオから録音したという小さいリールの小さいテープレコーダーを借りたが、それにはブラームスの『クラリネット五重奏』が入っていて、これを好んでしょっちゅう聴いていた。クラリネットが好かった。ヘンなリールでソニーのテープコーダーには入らなかった。というわけで、返却した後は聴けなかったのだが、耳に殘るというか、あのクラリネットの低音色は親しいものであった。どの音樂喫茶に入ってもリクエストしたものだが、どうも違うのである。喫茶店の大型の立派なステレオ装置で聴くものよりどうしても耳に殘る小さなリールの曲の方が好いのである。殘念ながらレーベルなども演奏者なども判らず仕舞いであったからそのままになった。
ところが、十字屋が未だ河原町にあった頃、本で言えばぞっき本のようなレーベルが並んでいて、全部モノラルで多分ソ聯か東歐から來たものであったかと思う。その中にブラームスの『クラリネット五重奏』があったので、安いし、買って歸って聴いたら、聴き始めた途端あの演奏であることが判って感激したものである。あれから引っ越しは何度もしたが、捨てたりはしないから何處かにある筈だが、今は聴けない。それにCDになったとは思えない。いまでもYouTube等でいろいろな演奏が聴けるがどれも違うし、新しいものを買う氣はしない。多分もうあれを聴くことはないであろう。
話は替わるが、何かの切っ掛けで、デーヴ・ブルーベック・クァルテットがオーケストラと共演する"Brandenburg
Gate - Revisited"を聴いて一遍に魅了された。これも書いたことがあるが、偶々偶然だが、題名を憶えていた所爲で、LP時代矢張り河原町の十字屋で洋版(コロンビア)を二枚見附けたのである。二枚とも買い、一枚は誰かにあげた。殘りの一枚は今でも此處にあって、何時でも手に取ることが出來る。但し、針がないから(プレーヤーは何處へ行ったか)聴けない。ただ、ずっとメロディーの一部は頭にあった。買ったのは京都藤ノ森の公務員宿舎に居た頃で随分前だが(その後大津に移った)、大津時代、三國の母が倒れてからも廿年だから、廿年以上は聴いていないのである。ところが母が十六年生きて死んで直ぐだったろうか、偶々長男夫婦が三國に來ていて"Brandenburg
Gate - Revisited"のLPジャケットを見せながらぼやいて居ると、お嫁さんがぱちぱちとPCを叩いてCD版を見付け、夫婦(未だ結婚していなかったか)の去った二日後には配達されたのである。これも感激であった。ジャケットも同じ體裁、CDは同じ音を出してくれた。ただエンディングは少し違うのだが、演奏は十八分を越える大曲だからLPではカットしてあったのであろう。他は全く同じであった。同じ1963年の演奏だから當たり前だが。オーケストラの大ストリングに續いて、デーブ・ブルーベックの一寸した導入が入り、ユージンのブラシと共にベースの協奏曲のようになり、デーヴの本格的なピアノの後、五分ほどしてポール・デズモンドのアルトサックスが優雅に入ってくる、好い流れである。彼らの半世紀前の脂の乗り切った頃であろう(註3)。
今ではLPは厄介者である。CDに勝手に転冩しては違法らしい。私はビートルズはLPの方が揃っている、というよりまともなCDは一枚もない。また眞梨邑ケイもLPで何枚か持っている。この中で、ネルソン・リドルが編曲し、ハリー・ジェームズが彼特有のトランペットでイントロダクションを吹くジョージ・ガーシュインの"The Man I
Love"を含むアルバムは特別であった。ハリー・ジェームズのトランペットは獨特で、出だしに少し倦怠感を漂わせ、吹き終わりの切り上げ方は美事で數等奥深く聴こえた。實はハリー・ジェームズはリンパ腺癌を患っていて、このあと直ぐ亡くなっている。だから音は好い方に枯れていたのかもしれない。
この頃は眞梨邑ケイの全盛の頃かも知れないが、彼女の聲はハリー・ジェームズに負けていた。私は一度、京都會館第一ホールの彼女のコンサートに足を運んでいる。半券が殘っているので判るのであるが、1983年の9月26日(月)6時半とあり、1階の12列22番とある。この時も、"The Man I
Love"は歌っているのであるが、舞臺の右端に何かよれよれしたトランペット吹きが出て來て、ネルソン・リドルの編曲を吹いたのである。この音には魂消たというか、ガッカリした記憶がある。年譜を見るとハリー・ジェームズはもう二ヶ月前に亡くなっている頃である。ネルソン・リドルも間もなく1985年に亡くなった。然し、公式HPは家族によって今も守られて居る。
ただ此の曲は三舩優子の『ラプソディー・イン・ブルー』という主にジョージ・ガーシュインの曲を含む數年前のアルバムに含まれていて、耳にすることは出來たのだが、ピアノ曲だから趣が違うといえば違う。それに、壓倒的に"Rhapsody in
Blue"が力強く迫力があり、"The Man I Love"は後で出てくる(九番目である)附け足しのようで、少し情けない。ただ、あの均整のとれた素敵な體軀で"Rhapsody in
Blue"を叩き上げるのだから、"The Man I Love"には餘裕が感じられると言えばそうかも知れない。たった2分10秒だが、CDの場合リピートが出來るので、何度でも續けて聴く事が出來る。此の三舩優子は何度聴いたか數知れない。私は樂譜に詳しくないので、書かない方がよいのだが、どうしてもあのフラットの入ったらしいクロマティックな様子が氣になり、最近、三舩優子が『教則本』を出し、"Rhapsody in
Blue"が入っているというので楽天ブックスから取り寄せたが、"The Man I Love"は入っていなかった。入っていても讀めやしないのだが、殘念であった。
私は然し、觀測一邊倒の時や考え事の忙しいときは音樂どころでないところもあり、結局CDが出ても知らずに過ごすことが多い。先のCDの"Brandenburg
Gate - Revisited"もそうである。眞梨邑ケイのというかネルソン・リドル編曲の"The Man I
Love"もCD化された時も知らない。今になってはアマゾンや楽天ブックスで探しても見附からない。CD化されたのは大昔であろうし、今はCDは流行らないらしい。それでも眞梨邑ケイのベスト・コレクションというアルバムが最近出たので、早速買ったが、これには入っていなかった。
ところがである。そうこうするうちに厖大な蜘蛛巣のなかに、オークションとして眞梨邑ケイの"The Man I
Love"のアルバムが出ているという僥倖に最近出逢ったのである。オークションなどというのは初めてだったが、直ぐ落ちて、手元にやってきた。久し振りのハリー・ジェームズであった。ジャケットは魅惑的に替わっているが、LPの裏面にあったような死直前の67歳のハリー・ジェームズが眞梨邑ケイをハグしている様な圖柄はない。
"The Man I
Love"は二番目に入っている。CDだからこれもリピートして聴けるのだが、LP時代の腦が働いて、腦内ウォークマンでは最初の"I Had The
Craziest Dream" (ハリー・ウォーレン作曲)が先に出て來てしまうのが 今は困るところである。これもネルソン・リドル/ハリー・ジェームズで、捨てがたいというところもあるが、矢張りこれはポピュラー・ミュージック、で、"The Man I
Love"はクラシックなのだろう。そんな譯で、最近は一日一回は必ずリピートでピアノ曲の方を何遍も聴いて脳内を調整している。
ジョージ・ガーシュイン(臺灣では喬治・格休文と書く)はクラシックだが、ジャズに影響されていると言われていて、エラ・フィッツゼラルドの"The Man I
Love"など途中から全くジャズになってしまい、他の曲が入ったりする。バーブラ・ストライサンド等最初からジャズであろう。然し、本當のところは、ジャズも含めてアメリカ音樂がガーシュインに影響されたのではないかと思う。"Adagio for
Strings, op.11"を作曲した傳統的な作曲家サムエル・バーバー(これも三舩優子のCDで聴く範囲だが)のソナタ曲“Excursions”op20のbluesなどはガーシュインの音樂を細かい網目に喩えるなら、粗いガーシュインの編み目で出來ていると言っても好い(註4)。
三舩優子は"The Man I
Love"を當然クラシックとして彈いていて、ガーシュインの樂譜は幾つあるのか知らないが、一つを忠實に再現しているのだと思う。"Rhapsody in
Blue"そのものの多彩さは、重厚なところは重厚に、華麗なところは華麗に、轟音は轟音というところにあるが、この重厚・複雜、強弱の強さを聴き(二三箇所、音が氣になるが)、次に"Three
Preludes"(註5)の初めのアレグロを聴くと、先行するラプソディに違和感がないが、次いで急いで九番目を選び、"The Man I
Love"に切り替えると、あぁこれは異質で獨立していると感じる。山なりで落ちてくる音の倦怠感も魅力的である。舞臺劇用に作られ、一度も使われ無かったという曰く附きだが、それはその異質性にあるのではないかとも思う。實は歌詞で言えばSome dayで始まる前に、殆ど歌われないが、一聯のヴァースがあったらしく、ローレン・スタットやカーメン・マクロエ等は歌っている。聴いては居ないがリタ・クーリッヂも歌っているという("We Are All Alone"を歌った歌手)。ちゃんと韻を踏んでいるから、矢張り兄のアイラ・ガーシュインの書いたものかも知れない。然し、ネルソン・リドルも三舩優子も使っては居ない。矢張り三舩優子のピアノの樂譜がメインのスタンダードなのであろう。
それは兎も角、この曲は(前置きヴァースを外しても)、私は樂譜がどうなって居るのか、判らないのであるが、大雜把に言ってA1:A2:B:A3の構成になっていると思う。Aの根幹は同じだが(ハリー・ジェームズもここ)、装飾音などがそれぞれ違うのである。Bも本質的にAの轉調したアレンジだと思うが、此處だけはテンポが速くなりフラットも幾らか溶けてこの小品に文(あや)を齎している。ところでAの部とBの部の時間を計ってみると、Aは私が小節のケリを讀めない爲に時間差が出るのであるが、B:Aを何回か測ってみると、1:611〜1:1.632ぐらいの範囲に入るのである。尤も、腕時計で見ているわけでストップウォッチを使っているわけでのないし、ぼんやりしていると、Aが酷く違って來て仕舞う。しかし、上の値は1:1.618・・・・(1:(1+√5)/2)という黄金比に近いのである(無理數で、有理數では表せない)。樂譜に記載されているわけはないだろうし、これは三舩優子の天賦が自然に齎した結果だと思う。黄金比と音樂との關係はベーラ・バルトークについての研究があるが、私には全く讀解不能である(黄金分割についてなら一時間でも話すが)。然し、古來最も美しい比率と言われ、自然界にも遍在するし、コンパスで描く五角形にも幾何學的に出てくる黄金比が音樂に關係がないわけはないのである。"The Man I
Love"は幾らかフラットで暗めに入り、山なり音で速度を落とし、逆にBで明るさを速度と反クロマティックで快復し、その仄かな快復が、再びクロマティックに戻るピアノの方法は作曲者と演奏者の協同の作業になるのであろう。逆に言えばこの曲は歌唱には向いていないのではないかとも思う(歌の方はマクロエが特にそうだが、Bは黄金律どころか、だらーとして頂けない。眞梨邑ケイもリドルに拘わらず幾らか平板に聞こえる。歌詞は最後のB:Aで韻も含めて曲想の變移を誘っているのだが。リドルの最後のAのバックはいい)。
デーヴ・ブルーベックというか、ポール・デズモンドの"Take Five"は5拍子だが、2:3:5:8:13:21 ・・・・等というのは黄金比の簡略形で、フィボナッチの數列に属する。フィボナッチは無理に有理數(近似値)にするのであるが、これの出てくる過程は自然である。"Take Five"は最もブルーベック・クァルテットの中ではヒットした曲であるし、私も好きである。
扨て、火星觀測のとき雲行きの怪しい場合に聴く曲は、案外と今や遠い彼方のショパンのスケルツオやバラードより、用意が出来次第、"The Man I
Love"が好いかなとも思ったりする。Bではアイラ・ガーシュインの歌詞はこうなる:
Maybe I shall meet him
Sunday maybe Monday maybe not
Still I'm sure to meet him one day maybe
Tuesday will be my good news day
・・・・・・
The Man (The planet Mars=男性である)が顕れるのは、日曜か月曜か、そうではあるまい、結局火曜まで待たなければgood newsに惠まれないだろう。多分、そんな具合に上手く行かないのが普通である。2003年夏の大接近時の手帖を見てみたら、待望のgood newsダスト・ストームが現れたのは金曜日から土曜日であった。尤も、私は沖縄で聯日觀測していたから、スコール以外天候を心配したことは殆ど無く當時晴天續きであったが。
(註1) これも何處かに書いたが、鄭先生は「お」を附けるのがお得意で、ある時「おにぎり」を食べに行こうというので、今さらと思ったが「にぎり鮨」のことであった。
(註2) 廿年前のカセットテープが今でも鳴るかというと聴けるのである。偶々カセットテープの蔡琴の『最後一夜』(臺灣製)が出て來たのでラジカセに掛けたら、昔の音を出した。1986年製と思う。尚、何時も書くが、私が最初に蔡琴に魅せられたのは士林站邊りを歩いていて耳にした『傷心小站』であった。これが最近YouTubeに入って來た。但し中でも一等好きなのがこのアルバムの最初の『戀』であるが、これはYouTubeで見掛けない。尤も不思議だがこのアルバムのCDは私は持っていて、何處かにある筈である。1988年に臺北で買ったのか、尾代孝哉君に貰ったのか、忘れてしまった。
(註3) Brandenburg Gateはクァルテットだけのものもある。LPのアルバムの片隅にあって昔持っていたが、矢張りオーケストラをバックにしたものとは全く違った。何種類かあるらしく、最近、デーヴとポールが掛け合いでやるBrandenburgをYouTubeで聴いて、これはなかなか好かった。このクァルテットは1951年結成、1967年解散である。然し解散後もときどき組んでいたらしい。
デズモンドはアルコールが好きで、その上ヘビー・スモーカーであったらしく、1977年に53歳で肺癌で亡くなっている。直前も、ブルーベックに同行していたらしい。サックスはデーヴの息子の一人に贈り、"Take Five"の賣り上げ金は赤十字に寄附しているそうである。デーヴ・ブルーベックも引退してもう九十一歳に近い。引退前にはバッハやショパン風を彈いていたらしい。本當はピアノ・クァルテットはピアノを盛り上げて奏でられるものだろうが、デズモンドのアルトサックスは獨特の味があり、彼に喰われていた傾向がある。然し、デズモンドも後でいろんな人と組んだが成功はしていないと思う。
(註4) 私には「金比羅フネフネ」と聞こえるところがある。好みから言えば次のアレグレットの方が好く、何かショパンを思わせる。
(註5) YouTubeにあるが、ツィマーマン演奏のガーシュインの"Three
Preludes" (多分東京公演のアンコール)の出だしに一寸彈いて、足下を見る光景がある。その分、次の小節が遅れるのだが、そこは上手いもので、すんなりと續くのである。正則な三舩優子と随分違う。ただし、後のツィマーマンは些か亂暴であると思う。四本目のペダルを持っているようないつもの柔和さがない。
但し、ステレオのYouTubeも馬鹿にならなくて、私は昔アンドレ・ワッツの"La
Campanella"はLPで聴いていたが、YouTubeに入っている1988年の東京公演での口をパクパクさせながら鐘を聯鎖して鳴らすさまの凄さはLPでは(CDでも)味わえない。それにしてもLPのジャケットの彼に比べて最近の彼は歳を取ったものである。私の「黄金時代」?と重なるから、多分私も、より歳を喰っている體裁であろう。
(2011年八月)
あとがき:
上を書いて程なくして、ガラクタの中から例のテープが見附かった。感心なことにケースにちゃんと入れてあった。ところが、ラジカセで聴いてみるとバラードの最初の部分にフランス語の文法とシャンソンが入っていて、多分廃棄されたテープと勘違いして家族の誰かが重ね録音をしたのであろう。バラードも二番ぐらいからと、スケルツオは全部聴けるのだが、何だか興醒めして、もし完璧ならウォークマンを新しく買おうと思ったが止めにした。多分神通力は効かないだろうからである。ただ幸いなことにインクがセピア色になっているが、Rubinsteinと書き込んであるので、適當にルービンシュタインのバラードとスケルツオを求めたら、1959年録音のCD盤が入手でき、テープと同じ音色だったので、一安心。
觀測開始はNj氏と九月10日と決めていたので、一週間も前から天候が回復するように、ルービンシュタインと"Rhapsody in
Blue"盤の九番目を交互にCDプレーヤーやCD附きのラジカセで聴いていた。その内、九番目の"The Man I
Love"だけを聴くのが「おまじない」になると思って、CDウォークマンを買い求め、説明書を讀んで九番目だけが鳴る様にし、以來、CDウォークマンを使っている。10日は足羽山で夜半前には登り、早くからこれら音樂を鳴らし、最初少し雲があったが火星の出るころには(3時半頃と思っていたが、3時には可能であった)雲が切れて萬々歳であった。ルービンシュタインのはノートPCで聴いていたが、音が悪いので、いまはラジカセを準備室に持ち込んでCDを聴いている(「おまじない」のための例のテープはカセット部に入れてある)。バラードとスケルツオは全曲で70分強掛かるので、氣樂に流しておけば好い。Nj氏と仕事をすることもあれば、Nj氏は睡眠を取ることもある。火星の時間に近附くと私はCDウォークマンでピアノの2分10秒の"The Man I
Love"をリピートで聴き始める。イヤフォンというのが馴染めないので、いずれヘッドフォンにするつもりである。實は晴れる事を願うだけでなく、シーイングの好くなることも願っているので、イヤフォンで聴きながらの觀測である。觀測は一回廿分であるから、一觀測中に8.5回程リピートで聴くことになる。觀測が済むと廿分の休憩時間があるが、この時も聴いたままの時もある。今回のセッションでは觀測は隔日に行い、四回續けて運に惠まれた。中秋の名月の東の山に出る時も晴れ、火星の時は更に晴れた。これを書いている時點では、CMOの仕上げがあるため觀測は暫く休憩だが、同時に博物館の燻蒸があるので、一週間は觀測出來ない。CDウォークマンは九番だけと決めてあるので(というより操作が不器用な私にはこれ以上面倒である)、申し譯がないというわけでもないが、家にいるときは、全曲CDプレーヤーで聴くようにしている。九番だけ擦れることはない。次回のセッションの時も同じスタイルで行こうと思っている。天文臺まで往復46km走るが、車の中では聴かない。以前、蔡琴を鳴らしながら追突してしまい、以後止めている。尚、ハリー・ジェームズ も聴いていない。理由はCraziest dreamが邪魔をして、The Manに入ってゆかないのである。先夜深更、Webの編集に失敗してMk氏を午前2時過ぎに電話で叩き起こす羽目になったが、この時もCraziestが頭に鳴りだし、困ったので、早速CDウォークマンを耳に當てて九番で耳直しをした。
(2011年九月19日)
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