巻頭エッセイ
命名法に關するスキアパレッリ對アントニアディ
南 政 次
CMO/ISMO #385 (
原文はCMO#116 (25April 1992)p1029に和文で掲載されたものを粉飾して英語版にしたものの逆飜譯である。要旨はスキアパレッリが單にそれまでの觀測家の名稱からギリシャ神話や聖書の名稱に換えたというだけでなく、互いに有機的な關聯を持たせながら、而も二重の網掛けをしているということを示し、一方、アントニアディは盛んに細かな名稱を附加したが、單純で、スキアパレッリに見られる様なロマティシズムに欠けるということを示したいわけである。尚、以下で(S:1877)や(A:1909)等とあるのは、スキアパレッリやアントニアディが1877年や1909年に命名したということである。Jürgen BLUNCKに依った。
I.
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ソリス・ラクス(S:1877)はスキアパレッリの絶妙なネーミングの一つで、朝縁から顕れるときはまるで太陽が日の出として顕れるようにワクワクするものである(Solが主格、Solisは属格)。それに先だって、オーロラが現れる(アウロラエ・シヌス(S:1877))。北には月がルナエ・ラクス(S:1879)として出ている。ギリシャ神話では太陽神ヘリオス、曙の女神エオス、月の女神セレネの三兄姉妹に對應する。
ソリス・ラクスにはエオスポロス(S:1877)という運河が走り出ているが、これは曙の星、多分太陽に附き從った金星であろうが、Eosというタームは此処に使われている。Eosという曙の女神は古くはTitoとも呼ばれ、太陽を意味し、その男性形がTithonusである。Tithonius LはTithonusの属格から來ている。エオスはティトヌスの母とも戀人ともいわれる。エオスによって永遠の命を與えられるが、それは青春を保つという事ではなく年老いて生きるということであった。しかし、不死鳥を意味するPhoenixに因るPhoenicis Lは1877年の命名で、Tithonius Lは最初のスキアパレッリの火星圖に顕れず、1880/1881年の命名である。從って、命名の順序としてはPhoenixが先で年老いたTithonusが後である。多分、ポエニックスは500年毎にエジプトのHeliopolisで再生する金色と赤の羽根から太陽光線を出す鳥という説が一般的で、Phoenicis L は1877年に命名されたものだが、多分ここからTithonius Lを後から思い付いたのであろう。Tithonus と Eosの息子にMemnonがいる[→Memnonia (S: 1877):アラビアやイタリアなどのia (他にGallus、Galli の居住地がGalliaガッリアといった類)を付けたものである]。なお、ポエニックスはDolopesの統治者としてCalydonian 征伐に一役を買っているという説もあり、1890年の地圖にはカリュドンCalydonという運河がソリス・ラクスと結んでいる。
西へ行くとイカロスに因んだIcaria (S:1877)があり、イカロスの父のDaedalusからDaedalia(S:1877)がある。パエトンに因んだPhaetontis (S:1877)もある。
パエトンはHeliosの子という説もあるが、Heliosの別稱であり異名で、耀くという意味を持っているという説もある。ある日天空を二輪馬車で駆け、ゼウスの怒りを買い、墜落させられ、Eridanus川に落ちて死んだとされる。彼の姉妹達Heliadesは二輪馬車の頸木を繋いだことから、パエトンの死を悼み、涙を流し、涙は琥珀になったとされる。EridanusからEridania (S:1877)が附けられ、琥珀ElectrumからElectris (S:1877)が附く、など太陽に關する事柄が附近に散らばる。
II
一方で筆者はスキアパレッリはソリス・ラクスの暗斑をポントスと二重に見立てたという見方が出来るように思っている。それはタウマシアThaumasia (S:1879)という大きな名稱から暗示される。ポントスというのは海の擬人化anthropomorphicで、息子にネレイスやタウマス等がいるのである。タウマスは年老いた海の神様で「海の不思議」と呼ばれる。その名は奇蹟や不思議を意味するギリシャ語のThaumatosから來たとされる。娘のイリスIrisは虹の擬人化だがIridis (S:1979)かIris (S:1881/1882)としてソリス・ラクス領域の北に位置する。
ポントス自身は使われなかったが、古い1977/1978の地圖には大地を一回りするというオケアヌスが顕れており、オケアニデスは方々に散らばる。スキアパレッリの命名に於いて、水が(運河との關係もあるのであろうが)縦横なファクターになっていることは否めない。オケアノスはOceanという單語の出所であることは言を待たない。
私は、ポントスはソリス・ラクスに二重に引っ掛かっていると考えているし、イメージとしては「Pontus Euxinus」黒海であろうと思う。現に、パーシスPhasis (S:1877)はPontus Euxinusに流れ込むし、アラクセスAraxes (S:1877)もそうである。他にバテュスBathys (S:1890)もそうである。スキアパレッリに倣って、ローヱルがグラウクスGraucus (L:1896/97)を命名したが、これも黒海に流れ込むトルコの川である。パーシス等は異質と思われるかも知れないが、Phasisはオケアノスとテテュス(テティスでない)の足首美しい三千の娘たち(オケアニデス)に混じる息子であり神である。
ネクタルNectarもオケアノスの海辺から出る神酒だし、アムブロシアAmbrosiaもヘリオスが夜オケアノスの傍の池で保養するとき(オウィディウスでは恋人の部屋を訪ねるとき)、彼の馬が食べるものとされていて、オケアノスと関係がある。アガトダエモンAgathodaemonもAgathos DeosつまりGood Godだが、彼の爲にギリシャ人は毎食後純粋なワインを飲んだとされる。スキアパレッリの地圖でAgathodaemonを見るとそれぞれに面白い。いまのコプラテスとは全く違うのである。
Pontus Euxinusが面白いし、重要だと思うのは、最近になって(1997年だが)、ノアの洪水邊りの傳説などはここから起こされたという説が出てきていることで、例えば次に要約されている。
http://www.answersingenesis.org/docs/4168.asp
問題は、その事實の考證學的な有る無しではなく、これは神話に色濃く反映されているだろう事である。明らかにボスポロスBosphorusという通路を通って洪水は氾濫した筈で、1877/1878の火星圖にはBosphorus Gemmatusが描かれている。Bosphorusは通称名詞でstraitを意味するだけだが、Gemmantusという「寶飾に飾られた」と皮肉な形容が與えられている。明るい地中海を本據とする船乗りにとってPontus Euxinusは色が暗かったようである。ボスポルスを通って洪水はNoachis (S:1877)に至ると考えると、この邊りには洪水傳説に因む名称が多いことと好く符合する。オギュギス・レギオOgygis Regio (S:1879)やヤオニス・レギオYaonis Regio (S:1879)というのがあるが、OgygusというのはThebesの統治者であったとき、Copais湖の氾濫が起こったとされている。Protei (S:1877)←Proteusも洪水から起きあがり、濱の岩の影で眠ったとされる年老いた知恵者である。ポセイドンとも關係があり海に因む。Yaonis Regio (S:1879)のYaoというのは中國の帝堯のことで、洪水には欠かせない禹などと並び稱せられる治水者である。Hellespontus (S:1877)はエーゲ海(Aegean Sea)と黒海を隔てるものとされる。HelleはHellespont Seaの女神である。なお、Copais Lucusの命名者はローヱルである(1896/97)がとんでもないところにある。
デウカリオンDeucalionと彼の妻ピュルラPyrrhaも矢張り洪水傳説と關係がある。Deucalionis R,
Pyrrhae R共にS:1877。この洪水はゼウスがヘッラス(ギリシャ)に起こした洪水であるが、運良く兩者の乗った船がパルナッソス山に着いている。
マレ・エリュトゥラエウム(エリュトゥーラの海)は朝陽に輝く紅海だが、今のアラビア海だけでなくインド洋まで含む。これは多分にソリス・ラクスが太陽であるというイメージに重なっているのであろう。
兎も角、ソリス・ラクスを挾んで二つのイメージがスキアパレッリでは交叉していることは間違いがない。
III
一方、アントニアディの命名は多岐にわたるが、その内容はどうであろう。その偏執狂的な例は前にも書いたが、先ず引用するのも敵わない。先ず星座である。それもCで始まるものが矢鱈多い(もともと多いのだが)。
Canis Fons (A:1929)は大犬座、近くに Sirii Fons (狼星の泉、A:1929)がある。Capri Cornu (A:1926)はCapricornus (山羊座)そのもの。Centauri L (A:1929)は言わずもがな。Ceti L(A:1909)は鯨座。Columbæ F (A:1926)は鳩座。Coronæ F (A:1929)は冠座。Corvi L (A:1909)は烏座。Coracis Portus (A:1926)は渡り烏座(Corax)。Crateris D (A:1929)はコップ座。Crucis FはCrux星座から。Chironis FretumはCentaursから出ている。Canopi Fons (A:1929)はカノープス。星座では 他に Arietis ProはAries牡羊座から、Arcti F は大小熊座(Arctus熊はアポロドーロスに出ている)。Argus Dはアルゴ座。Delphini Portusは海豚座。 Doradus Dはかじき座。Felis Promは猫座。Lupi FはLupus狼座から。Lyrae FはLyra座から。Piscis Dは南の魚座。Sextantis D は六分儀座。Tauri F は牡牛座。他にOctantis D←Octant、Aquarii D←Aquarisなど。年代を調べるのは面倒なので、止めておく。いずれにしても火星觀測者でこれらの存在を知っている人間は多分同じく偏執狂であろう。唯一パウォニス・ラクスPavonis L (A:1909)は孔雀座から、これは一応不死鳥Phœnicis L に呼応し、いまも使われている[もともとはローヱルの火星圖ではLatina Silva (アルプスの南の森で、紀元前216年にゴール人がローマ人に打ち勝ったところ)である。アルシア・シルワArsia Silva (L:1894)は殘っている。アスクラエウス・ラクスAscraeus L (S:1888)はスキアパレッリである。三者三様にした本人はアントニアディである]。
色というか光といった平板な言葉の多用もアントニアディの特徴で、ウンザリする。Claritasが輝き、Candorが煌めき、Lux が光、從って、Lucis Portusは光の港 (Luxが主格、Lucisが属格)、Noxが夜、従ってNoctis Lが夜の湖(Nox が主格、Noctisが属格)、Fulgoris Dは電光の凹地(ラテン語はFulgurが主格、Fulgurisが属格、アントニアディはギリシャ語読みをしている)等がある。Xanthe (A:1909)もそうだが、Candorと同じくOphirやChryseと區別が附かない[オピールOphirはS:1877の命名で、金で有名な地方、でSophirやSofiaとして名前にも使われる。クリュセChryse (S:1877)はChrysus (gold)から來ているのであろう。] Chrysokeras (黄金の角)も1909年のアントニアディの命名である。
序でに 少しイヤミをいえば、Idaeus F (S:1890)があるのだから、反對側にAchillis F(A:1903)のようなAchills P (S:1881/82)を眞似をした名稱を置かず、Deimas Fとでも附ければ好かったのにと思う。Dardanusに嫁いだChryseは二人の息子IdaeusとDeimasを設けたが、その後洪水で二人は離ればなれになってしまったのである。Dardanus (S:1881/82)はIdaeus Fに續いている。
IV
Oceanusに關してはスキアパレッリは1879年の火星圖で使っているが、その後、此の地方の複雜化に伴い消えてしまい、M Oceanidum(A:1929)として復活させたのはアントニアディの業績かも知れない。但しOceanidumはOceanusの子供達Oceanidesの属格から來ているのであってMare Oceanidumは“オケアニス達の海”または“オケアニデス海”ということになる。
また、スキアパレッリはポントスの息子からThaumasだけを選んだが、アントニアディは長兄のNereusを選んでいる。Nereidum Frをポントス(ソリス・ラクス)附近に置いたのは結構である。これもNereusの子、50人のNereidesから來ている。ネレウスは眞實を語る「海の老人」としてタウマスの「海の不思議」と切り離せない。但し、J BLUNCKがネレウスをオケアニスの息子としているのは間違いであろう(p128)。アントニアディはNerei D (A:1929)を遙か離れたヘッラスの邊りに置いたのは一寸場違いである。尤も、M Amphitrites (A:1929)を近くに置いたのだから仕方がないのかも知れない。AmphitriteもNereidの一人ともOceanidともいわれる。ポセイドンの妻として有名である。しかし、何故ヘッラスの周りにあるのか判らないが、海の女神としてアドリア海の反対側にあるのかも知れない。
(後記) 上の稿ではソリス・ラクスを中心に述べたが、スキアパレッリの命名は多岐であり、それぞれに面白い話があるであろう。リビュアからシュルティス・マイヨルを挾んでアラビアに至る話や、 アルキュオーネの灣等の話も面白いと思う。又の機會にしたい。
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