誠文堂新光社刊2010年版『天文年鑑』火星項を糾弾する

                                OAA 火星課

                                                                   南 政 次 M MINAMI

                                                                       T ASADA

                                                                   島 孝  T NAKAJIMA

                                                                    村上 昌己  M MURAKAMI

(以下は『天界』20108月号用の原稿として採用されたものと同じであるが、THEMISのカラー像は色刷りの関係で『天界』には出ていないので、ここに採用する。なお、誠文堂新光社の編集委員会にもこれを『天界』および『火星通信』に草することは伝えてある。但し、返事は全くない。)


嘗て、山本一清氏(1889-1959)が萩原雄祐氏(1897-1979)の岩波全書『天文学』(1956)の誤謬・瑕疵を『天界』で舌鋒鋭く糾弾したことがある。今回はそれに習う訳ではないが、2010年版『天文年鑑』の火星項に看過すべきものとはいえない事柄が多く見られるので、火星課として指摘をしておきたい。

 誠文堂新光社の『天文年鑑』は歴史もあり、われわれが少年の頃からの良き暦としてのガイドブックであったし、教育的でもあった。現在も青少年に対しそういう役目を担っている。しかし、今回のp131の「火星」(安達誠氏筆)(以下A稿とする)p134の「2010年の火星観測について」(安達誠氏筆)(以下B稿とする)は何れもわれわれが読んで唖然とするものである。第一、暦というのに最接近日(1284時日本時)が書かれていない。衝にも赤経衝と黄経衝があり、『天文年鑑』は前者を採るが、一般には後者(1305時日本時)を採用するのでこれに触れておくべきであろう。第二にA稿において図3のようなものが必要か理解に苦しむ。2010年の暦であり、接近は2009年から続いているのであるから、その辺りを描けばよいのであって、何故2030年まで必要なのか。小接近・大接近は言葉で尽くせる。第三に、衝の頃は「模様の少ない向きにあたるため」とあるが、どうしてか。一月の月末にはシュルティス・マイヨルが南中して、それこそ初心者にも好機であった。よしや、模様の少ない所が来るとしても、マレ・アキダリウムやシュルティス・マイヨルといった模様が南中する頃合いをガイドするのが本来の姿ではないか。第四の不審点、p132に於いて少なくとも七行は空白になっている。ここを利用してそうした現象の観察を勧めることは出来なかったのであろうか。実を言えば、意味のない2030年迄の図など削除し、再来年の火星、或いは前回の火星との視直径の違いを示す図ならばスペースも獲得でき、いま述べた模様の問題や視直径の変化も経緯度線つきで、北半球の向きや、北極冠がどの様に小さくなってゆくかの予想図などを描き込める筈であり、それを抜かして、詰まらない図と空白を作るというのは、読者に対する大きな冒涜である。

  B稿においても似たようなことが起こっている:A稿に「火星の北半球の季節は、年始めは晩春に相当し」と書きながら、B稿でも「20101月のLs(火星の季節を表す)30°近くとなり、北半球は晩春のころとなる」と二重書きをしている。しかもLsについては既にA稿で使っている記号である(正確には季節を表す数値ではなく、火星から見た太陽の黄経値で、季節を見る目安にしているに過ぎない)。その他視直径が10秒角になるのが3月末というのも、A稿にもB稿にも表れている。そんなに書くことがないなら、「ブルークリアリングをねらうには、年明け早々には始めたらよいだろう」などと書きながら、ブルークリアリングについての懇切な紹介が全くない。ブルーヘーズがいまでは存在しないことは判っているし存在しないものがクリアーするというのは馬鹿げた語法だが、クリアリングなどに拘らず、北半球の春分以降の朝霧の問題や赤道帯に発生してくる霧の帯や、或いはタルシス三山やオリュムプス・モンスの夕方の山岳雲が顕著になり始める訳だから、そうしたことに触れるのが正当ではないか。更にヘッラスの話題もある、Ls100°くらいになれば、真っ白になることはよく知られており(いまでは南極冠の一部という考え方もある)、そうした目に附きやすい点を観測項目に付け加える事を何故しないのか。

 B稿にはダストストームという用語が頻出し、特にp134途中から「ダストストームが発生すると、発生に規模によっては・・・」と七行余り述べているが、これは2010年の北半球の火星を述べているときに一体何の意味があって述べたものか。これはソックリ南半球が夏半球のときの所謂ダストストームが出るころの話ではないか。もしこれが先行するジャン=ジャック・プーポー氏の200986日にダストストームが起こったとする記述と関係があるなら、更におかしな事になる。実は86日には黄雲など起きていないし、半頁も占めているJ.-J.プーポー氏の画像には黄雲など写っていない。よしや写っていたとしても像を加工して一像に小さく纏められた筈である。

なお、黄雲が実際起こっていないことはThemis85日から12日のAtmospheric Dust Opacity図から明白である。(ここに掲載)また近内令一氏からもMROのムービーからも黄雲はノアキスに検出されないという私信を頂いている。

 p135には「北極冠が小さくなってくると・・・」として北極冠付近にダストストームがよく発生するという文言が見られるが、MGSの活躍以来polar-dustが北極冠周辺で検出されていることは確かだが、先のダストストームに繋がるものではない。とくに全体的に「北極冠の上を砂が覆う」といったような現象は寡聞にして知らない。こういう場合は何年何月にこういう現象がどこでどう観測されたか前例を示さなければならない。かくの如き現象を探査するなら、小接近後期では無理であろうし、われわれが2002年や2004年のMGSの短冊を5°Ls区切で調べた限りでは北極冠が消失したという現象は起こっていない。ここでも8行ぐらい無駄をしていると思う。更に北極冠が小さくなったときと称して61日の大きな予想図を描いているが、いったい何のためか。00:00GMTならば日本から見える範囲にないし、ヘッラスを中央に持ってくるなら(100°Ls近いから)意味があったかも知れないけれども夕端に見えるだけである。多分最早北極高緯度も安定し、「ダストストーム」など見られないだろう。画像枠も意味のない大きさで空白に等しい。

 一事が万事という言葉があるが、上に述べたような細かい脱落や、説明不足と軌を一にして、最後のp136頁の火星図には、16がアルバとされているという凄い間違いがある。アルバの位置はこんなところにはなく、これはアスクラエウス・モンスである。アスクラエウス・モンスとされているところがパウォニス・モンスであろう(voはウォと読む)。アルシア・シルバというのはローヱルが1894年にローマの近くに森に因んで付けた名だが、いまではモンスを意味するときにはアルシア・モンスである。英語読みとラテン語読みが混じっているのも奇妙だが(大リーグじゃあるまいし、シルチス・メジャーとは恐れ入る)、先ず前頁であれほど北極冠の周りのpolar-dustを云々するなら、中央緯度は26°Nまで上がっているのであるから、北極冠中心の地図か扇形図にすべきであって、2007年などが出てくる幕ではない。要するに、全体生半可な知識の持ち主が大仰なことを書いたに過ぎない。

 編集委員会にも注文を付けたい。視直径に視半径を書き込み、校正できなかったのはミスだが、そろそろ視半径をやめたらどうか。四捨五入した視半径を二倍にしても視直径にはならない事は明白である。

 


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