10 Years Ago (57)
10 Years Ago (57) (Japanese)
-CMO #087 (25 May 1990)-
 火星は1990年五月には「みずがめ座」から「うお座」に入り、次第に赤緯を上げていった。太陽との離角も開き、火星の出は月末には午前1時台になって、日の出時の高度も30度を越す様になった。火星暦は五月はじめはδ=6.1"、Ls=213゚、φ=24゚S 、五月末にはδ=6.9"、Ls=232゚、φ=25゚Sに達して、南半球の季節は穀雨から立夏を過ぎた頃になっていた。南極冠の融解が進み、黄雲発生の可能性のある初夏の火星だった。

 今号の「OAA MARS SECTION」は報告速報の前に、浅田正氏からのアナウンスが入った。「OAA火星課長が佐伯恒夫氏から南政次氏へ引き継がれたこと(1990年四月1日付)と、同時に、中島孝氏・浅田正氏が火星課幹事を勤めることになった」との内容である。

 次いで観測速報だが、全国的に天候が不順で、四月中旬から五月中旬の一ヶ月の観測報告者は南政次・中島孝の両氏だけであった。南氏は四月末からの連休には、福井にて中島氏との協同観測を行い、折から視野に入ってきた Hellas & Noachis辺りに異常のないことを確認している(Ls=212゚,δ=6.0"/29 Apr)。このLsは前回1988年六月黄雲の起こった時期にあたり(cf CMO,#085,p714)、特定の現象が起きていないことの確認も大切な観測ポイントであることが指摘されている。
 次には「COMING 1990/1991 MARS−(4)」として浅田正氏の「今年の火星は高いですネ!」が掲載された。火星の赤緯とLsを両軸に取ったグラフで、前々回(1986)、前回(1988)と今回の接近とを比較している。今回の1990年十一月の最接近時には、赤緯は北22度を越えて、南中高度は日本では70度以上になることを示した。視直径は小さくなるが良い条件で観測が出来ると期待されている。

 「1988CMO観測ノート(12)−Thyles Monsらしきものについて」には、宮崎勲Isao MIYAZAKI氏の観測(1988 Aug 17〜18, Ls=254゚〜255゚)を中心に、1988年八月に北極冠周辺に観測された白い「条状の跳び出し」についての考察がある。
 Thyles Mons (テュレス・モンス)は、南極冠融解時に現れるMonsで、アントニアヂの索引図によると位置はΦ=70゚S,Ω=150゚Wあたりにあり、雪線がその緯度を通る210゚Lsから240゚Ls頃には見えてくる筈のもののようである。1971年にもアメリカでLs=254゚で観測されている。
 Ls=255゚に達するのは、次回2001年の接近では、最接近四ヶ月後の18 Oct (δ=9.5",φ=11゚S)であり条件は悪い。次々回は最接近直後の5 Sept 2003(δ=24.7",φ=18゚S)となり視直径が大きい1988年と同じ良い条件で観測可能であろう。

 来信(LtE)は 2 Feb〜5 May 1990の期間のものが紹介されていて、Jeff BEISH (USA)・ Don PARKER (USA)・ 白尾元理・長谷川久也・Richard McKIM (UK)・宮崎勲・阿久津富夫の各氏からお便りがあった。阿久津氏のお便りでは、1990年二月に宇都宮市で開催された「第十五回木星会議」の様子が伝えられている。

 「夜毎餘言(XIV)」は、観測時必携品の話である。「駱駝の上下」「眼鏡」「鍵束」に関して、臺北でのエピソードを中心にMn氏の感想が述べられている。

(Mk) 村上昌己