したがって、『火星通信』#086には「OAA MARS SECTION」のコーナーが始まり、此の観測期の報告速報が載せられている。初回は15 Apr 1990までの観測の紹介である。観測者は長谷川久也、南政次、中島孝、Gérard TEICHERTの四名だった。南氏は一月、二月も単発の観測があるが、視相・視直径などが適わず実のある観測にならなかった由。三月からは大津で継続観測に入っていた。中島氏も、福井に移動した南氏と共に、三月末より観測を開始したわけである。
三月中旬からは、視直径は小さいながら南極冠・暗色模様が共に峻別できるようになってきたようである。季節は1 Aprで195゚Ls、31 Aprで212゚Lsとなり、南半球の春分過ぎの観測だった。
#086には続いて外国からの観測報告の紹介が二本掲載されている。初めは西ドイツの"Arbeitkreis Planetenbeobachter"(惑星観測者の研究集団)の機関誌である "MfP(Mitteilungen für Planetenbeobachter)"(惑星観測者のための報告誌)からの1989年の火星観測報告第三部の紹介である。1988 Oct〜Decの観測が纏められていて、CMOの記事からの参照も多く、原文の一部がコピーで掲載されている。
次には、ALPO Mars Sectionの1988年の観測レポート"The International Mars Patrol in 1988"の紹介がある。ほとんど全節の内容を簡単に取り上げているが、それぞれに批判的である。文末には「南中老人対話」として福井のお二人の寸評がある。末尾に曰く「真性英語だからでしょう。--ウン、摩擦は必定、和製英語でこれからチャンバラ喧嘩するの大変やなァ。」