1989年六月中旬には、火星は足早に順行して「ふたご座」から「かに座」へと向かった。太陽との離角は東20度ほどに小さくなって、日没時の地平高度は20度以下になり、観測可能条件からはずれてしまった。視直径も3秒角台と極小になって、再び4秒角にまで大きくなってくるのは合をはさんだ1989年12月末の事となる。
この時期には、同人は全員、此の1988/89年の大接近期の觀測を終了していて、OAA Mars Section Reportは休載となった。
「LtE スペシャル」は二回目となり、1 Aug 〜 31 Aug 1988の一ヶ月間のものが掲載された。
お便りは次の各氏から寄せられている。
(Iw:岩崎徹 Is:伊舎堂弘 Ak:阿久津富夫 Is:石橋力 My:宮崎勲 Hr:堀江卓二 Nk:中島守正 Sr: 白尾元理 Km:熊森照明 WLy:ョ武揚 Wk:湧川哲雄 Sb:柴田恵司 Om:大島良明 : Kz:神崎一郎 Mm:繭山浩司 Ms:正村一忠)
お便りの観測者・日付別の略図は以下のようであった。
1988 Iw Id Ak Is My Hr Nk Sr Km WLy Wk Sb Om Kz Mm Ms 1 Aug M 3 M 4 M 6 A 10 A 11 M ? M 12 M 16 M M M M 17 M 18 M 20 A M 21 A M ? M 23 A 25 M A A 29 M*略図中の記号はそれぞれ、M:南政次氏(臺北)、A:浅田正氏(宗像市)宛の通信を示す。
お便りの中では、各氏の望遠鏡のグレードアップのお便りが多かった。画像撮影もテクニカル・パンの最盛期であり、まだCCDカメラの使用者はいない。月末には、ミッチェル山(Novus Mons)が極冠から分離しているのが観測されている。筆者(Mk)も、視直径が大きくなったこの時期に10cm屈折望遠鏡で撮影して良像を得ている(#116)。
コラム記事は「夜毎餘言」XIII「紅星」と題して、南氏が臺北で聴き惚れた台湾の女性歌手「蔡琴(ツァイチン)」のお話である。火星−紅星−女性スターと結ばれる三題噺?で、南氏の臺北での生活の一面が紹介されている。彼女の歌は三国のお宅に同人が集うとき、BGMに使われている事が多いから、お聞きになった方もいると思う。