順行を続けて遠ざかる火星は、1989年四月中旬には、木星を追い越して「おうし 座」の角の間に進んだ。夕方の西の空にいつまでも残り、日没時の高度はまだ35度 程もあった。視直径が小さくなったものの薄暮からの観測が可能で、三月後半・四 月前半の期間の観測はかなりの数が寄せられた。天候も良くなったようである。13 Aprで視直径4.8秒角、Ls=026゚,φ=2゚Sに達していた。
OAA Mars Section Reportには此の期間の報告者として、長谷川久也氏
(12drawings)・岩崎徹氏(10drawings)・南政次氏(30drawings)・宮崎勲氏(2
Photos)・中島孝氏(31drawings)が記録されている。視直径が小さくなり詳細は捉
えがたいものの南極地方の明部は各氏が追跡を続けた。北極冠もφが上がってきて
認められるようになっていた。
追加報告は、伊舎堂弘・白尾元理・中神輝男・J Dragesco ・R McKimの各氏から
寄せられている。また、山本進氏(OAA理事長)からお送りいただいた、オランダの
天文雑誌からの火星観測関係記事の紹介もある。
後半は久しぶりの「夜毎餘言XI」で、「足羽山だより」と題して、四月初めの中島
孝氏との協同観測での桜の足羽山の様子などが記されている。