1989年二月には火星は「おひつじ座」を順行して「おうし座」にある木星へ近付いていた。夕方の南西の空にあって、遅くまで西空に残り、沈むのは深夜のことであった。しかし視直径は15 Febには7秒角を切ってしまい、観測最終段階となっていた。Lsは352゚から月末には005゚に達して南半球の秋分を通過したところだった。
#069の OAA Mars Section Fortnight Reportには、一月後半と二月前半の観測報告が纏められている。1988年観測期の報告として28回目となる。此の期間の報告者は岩崎徹氏・南政次氏・宮崎勲氏・中島孝氏の四名になってしまった。報告数は44点だった。南極冠は最早捉えられなくなってしまったが明るさがあり、北極方面にも明るさが認められている。もちろんSyrtis Mj・S Sabaeusなどの暗色模様や明るいHellasは観測されている。追加報告も比嘉保信氏・田中利彦氏・宮崎勲氏・John Rogers氏(BAA)(宮崎勲氏よりの転送)・Donald Parker氏(Fl USA)の各氏から寄せられている。Parker氏の資料の中には1998年十一月のThaumasia黄雲の画像も含まれている。
#069から月一度の発行ということで、今号も12ベ−ジ建てになって読み応えがある。1988CMO観測ノート(3)として「九月中旬の南極冠の一時的淡化について」が纏められた。中島孝氏発議による1988年九月中旬の南極冠の観測に関しての、『火星通信』に寄せられた観測の比較検討である。また「火星面上の中国皇帝」と題する南政次氏の随筆がある。臺北での火星面地名の中国語訳の試みの事と、Yaonis Regioの由来と帝堯(Emperor Yao)伝説との考察など興味深い一文である。
その他、コラム記事が三編あって、はじめは「1988年火星写真集」配布についてのお知らせである。阿久津富夫氏が取り纏めていた。二番目はSky&Telescope誌のDec(1988)号 Jan(1989)号掲載の火星画像に関しての南政次氏と中島孝氏の感想。三番目はALPOの1998年の南極冠サイズ観測結果の紹介である。六名の観測による縮小曲線グラフの引用がある。