1989年一月には火星は「うお座」から「おひつじ座」へ向い夕方の南の空にあった。光度は月初にはマイナス等級からプラス等級に落ちたが、「おうし座」にある木星と並んで輝いていた。12 Janには「東矩」を過ぎ、太陽との離角は小さくなっていったが、日没時の高度は40度程あり、まだまだ観測可能であった。とはいえ、視直径は10秒角を切って15 Janでは8.4秒角にまで小さくなり、冬場の視相の悪さでは多くを捉えきれなくなってしまっていた。Lsは335゚から月末には345゚に達して南半球の秋分間近の季節だった。
#067,#068 の OAA Mars Section Fortnight Reportには、十二月後半と一月前半の観測報告が纏められている。此の期間の報告数はそれぞれ71点・39点と大幅に減少した。火星の此の季節での観測ポイントは、南極冠縮小の最終段階の確認だった。20cm級では12月末でも認められにくくなっていたが、沖縄の宮崎勲氏(40cm反射)・湧川哲雄氏(25cm反射)は良シーイングの元でJan 10 (Ls=341゚)にまだ明確に捉えていた。その他の暗色模様にも異常は感じられず、前年十一月末のThaumasia黄雲の活動は終息していた。
#067は編集者からの新年の挨拶があり、正月休みに福井で催された「第三回惑星観測者懇談会」の様子が記録されている。参加者は、阿久津富夫・浅田正・熊森照明・南政次・宮崎勲・中嶋秀夫・中島孝・横川秀紀の各氏で、二日から五日まで懇親・懇談が続けられた。三日には足羽山の市立自然科学博物館(現・福井市自然史博物館)を会場に標記の会が開催され、今期の観測・今後の活動の方向等が検討された。此の期間中に南政次氏は満五十歳の誕生日を迎えられたとある。したがって今年はめでたく御還暦を迎えられたことになる。
その他にコラム記事には「前田鏡の52年ぶりの里帰り −頼武揚さんの 8cm反射鏡−」と題して、台湾の頼武揚氏の紹介と、所有されていた8cm反射望遠鏡のエピソードがある。此の鏡は現在も南政次氏がお持ちになっていて、昨年末、西大津のお宅で拝見した。
#068には、1988/1989年の火星(11)「最接近後の火星の動態(下)」が掲載され、二・三・四月の火星面の状況が予報された。観測最終期のポイントには、中央緯度が北向きになっていくのにしたがって、最大径になっている北極冠の片鱗が北辺に確認できるかということもあった。他には「編集後記」にワープロ事故で発行が遅れた話と、以後の観測シーズンオフには月一度の発行にかわる案内が出ている。
今回もこの期間の報告者を列挙すると、国内からは、阿久津富夫・長谷川久也・伊舎堂弘・岩崎徹・熊森照明・南政次・宮崎勲・中島守正・中島孝・大場與志男の各氏であった。また、台湾からは、陶蕃麟 (TAO Fan-Lin)氏の報告があった。期間外の報告も上記の諸氏の他に、松本直弥・湧川哲雄・石橋力・正村一忠・中神輝男・張替憲・青木進の各氏から多数寄せられている。