1988年十二月には火星は「うお座」を順行していて夕方の南の空にあった。翌1989年一月半ばの「東矩」に向かって太陽との離角を小さくしていき、中旬には午後七時台に南中するようになった。視直径もますます低下して、月初めの13秒角から月末には10秒角を切ってしまった。Lsは319゚から335゚へと変化して南半球の夏も終わろうとしていた。
『火星通信』#065,#066 の OAA Mars Section Fortnight Reportには、十一月後半と十二月前半の観測報告が纏められている。此の期間の報告数はそれぞれ134点・166点であった。Noachis、M Serpentis付近の観測から始まり、Syrtis Mj、Hellas付近、M.Cimmerium辺りと観測は遷り、十一月末にはM.Sirenum付近が見えるようになった。27 Novに、臺北の南氏は東縁のSolis Lの南のリムが異常に明るく黄雲の発生ではないかと観測した。28,29 Nov にはより詳しく観測されて、Solis L南方のThaumasiaに帯状に黄雲があるのを認めた。29 Nov には国内でも宮崎勲氏が観測されて異常を感じ、主な観測者に連絡して追跡を始めた。翌 30 Novからは多くの追跡観測がされたが、黄雲は既に沈静化していて西への拡大は観測されなかった。南氏は 30 Novに帰国して大津・福井で追跡を継続したが、アメリカより伝えられた黄雲の発生位置には最早異常は観測されず、東方への拡大も観測されなかった。黄雲の影響としては、Aonius S からD Pontica以南が三角形に濃化しているのが認められた。その後はS Sabaeus付近までが観測されたが、小さくなった火星からは詳細は捉えられなかった。南極冠は小さいながらもまだ認められていた。北極雲の消長も観測されている。
#065は12ページ建てで「黄雲の速報」「1989年の火星面物理表」「夜毎餘言 X」「再見臺北(四)」など、久しぶりで盛り沢山の内容である。「夜毎餘言 X」には南氏の臺北からの帰国状況が、同時期に発生した黄雲の追跡観測と重なり、慌ただしかった様子を、日を追って纏められている。「再見臺北(四)」は臺北での宿舎での様子を臺北の雨の多さと絡めて述べられている。他にも沼澤茂美氏によるビデオ画像のコンポジット像の紹介・正月に計画されている懇談会への参加を呼びかける「お知らせ」も掲載されている。
#064は見開き4ページに十二月前半の黄雲の追跡状況が纏められている。他には「お知らせ」に「第三回惑星観測者懇談会」が福井で開催される案内と、「事務局便り」が『火星通信』発足三周年を迎えることとカンパのお願いをのせている。
今回もこの期間の報告者を列挙すると、国内からは、阿久津富夫・浅田正・長谷川久也・伊舎堂弘・岩崎徹・熊森照明・宮崎勲・中島守正・中島孝・大場與志男・尾代孝哉・尾崎公一の各氏であった。また、台湾からは、南政次・陶蕃麟 TAO Fan-Linの報告があった。期間外の報告も上記の諸氏の他に、Regis NEEL(France)・青木進・正村一忠の各氏から多数寄せられている。また、BelbuiumのVVS Werkgroep Planetenからも多数のスケッチと写真の報告があった。