1988年九月には火星は「うお座」にあって、九月末の「衝」に向け逆行していた。衝に先立つ九月22日に地球と最接近になり、視直径は23.8秒角に達する。Lsは九月はじめの264゚から末日の281゚とすすんで、南半球の夏至を通過した季節で、黄雲の発生時期は続いていた。天候にも恵まれ詳しく観測されたが、黄雲発生の兆候は捉えられなかった。
『火星通信』#059 OAA Mars Section Fortnight Reportには、八月後半の観測報告が纏められている。台湾、沖縄、日本南部は好天に恵まれ、全体では欠測日が無かったとのことである。此の期間には、火星がいよいよ近付いてきたこともあり、観測者が増えて18名から報告が寄せられた。期間内の報告だけでも263点に達している。
火星の出が早くなり観測時間が伸びて来たこともあり、半月の期間でも火星の多くの地域が観測出来るようになり、シーイングの良さもあって、良質の観測が得られた。特に宮崎勲氏の新装なった41cm反射が見事な写真を撮し出した。此の期間の火星面はM.Sirenumの朝方に見えるところから始まり、期末にはSyrtis Mj.からSolis Lまでが眺められるという経度の観測だった。Solis L周辺・GangesからLunae L辺り、Margaritifer S、M Erythraeumの様子等が述べられている。朝靄の美しく懸かる様子も描写されている。南極冠は縮小が進み変形した面白い姿をみせた。Novus Monsが孤立して、極冠の横に青白い細長い姿を見せるようになっていた。筆者も此の期間に10cm屈折によるTP写真でNovus Monsを捉えた。当時は観測報告に参加していなかったので、後に『火星通信』#116で紹介して戴いた。
『火星通信』#060 OAA Mars Section Fortnight Reportには、九月前半の観測報告が纏められている。最接近目前で視直径も22秒角を越し、ほぼ最大になっていた。此の期間日本本土では天候に恵まれず観測は低調だったが、沖縄・台湾は好天が続き欠測はなかった。期間内の観測報告者は21名、報告数は247点であった。追加報告も多数寄せられている。 此の期間には、S Sabaeusの付け根・Syrtis Mjの東側の飛び出し・Grace's Fons・M Tyrrhenum・M.Cimmeriumと暗色模様が詳しく観測出来た。朝靄・夕靄の様子・Novus Monsの様子も記述がある。
その他両号に、各氏の望遠鏡パワーアップの事・宮崎勲氏のTP写真の事・岩崎徹のスケッチ枚数200枚突破のこと、誤報の黄雲騒ぎの事などが紹介されている。
この期間の報告者を列挙すると、国内からは、阿久津富夫・浅田正・長谷川久也・畑中明利・堀江卓二・伊舎堂弘・岩崎徹・神崎一郎・熊森照明・繭山浩司・松本直弥・宮崎勲・中島守正・中島孝・小尾哲也・大島良明・大場與志男・大澤俊彦・尾崎公一・柴田恵司・白尾元理・湧川哲雄の各氏であった。また、台湾からは、南政次・廬景猷 Jiing-You LU・Pei-Kun CHIN。フランスから Jean DIJON・Regis Neelの各氏から報告が寄せられている。ベルギーのVVSのメンバーからもスケッチ36枚の報告があった。
記事としては、南氏の「高層天気図から」(#059 p471)が掲載されている。700ミリバール面高層天気図で高度3180メートルの等高線を「18線」と称し、これが上空に懸かると視相の安定が続くいうものである。八月下旬の台湾・沖縄の視相の良さの例を天気図のコピーを引用して説明されている。観測計画の目安として利用価値の高いものである。現在ではインターネットの次のURLで当日のものが入手できる (http://www.imoc.co.jp/wxfax.htm) 。
コラム記事には「臺北再見(1)(2)」が連載された。#059には、(1)「10cmではソリス湖は小さく見えるか?」と題して、圓山天文臺長の蔡章献先生との事、#060には、(2)「PKはチンタラでなくなったか?」の、陳ペイクン氏とのこと、現在滞在中の臺北圓山天文臺での南氏の観測寸描である。
夜毎餘言(IX)も「最終巴士」と題して、臺北での観測帰りの最終バスの話である。南氏の現地での観測生活の一端が紹介されている。