tya35

From CMO#058

10 Years Ago (36) (Japanese)
- CMO #057 (10 Aug 1988) & #058 (25 Aug 1988)-

 1988年八月には火星は「うお座」にいて、いよいよ近付いてきた。八月はじめには視直径17秒角・季節は244゚Lsになっていた。1956年にNoachis大黄雲の起きた季節に当たる。火星の南中も午前3時台になっていて、深夜から朝方での観測だったが、各地とも梅雨も明け拍車がかかって、下記のように観測者も充実してきた。臺北滞在の南氏も落ち着いて来たようで『火星通信』のページ数も増加している。八月15日には視直径は19.5秒角、季節は253゚Lsに達した。

   OAA MARS SECTIONには、七月後半と八月前半の観測報告が纏められている。この期間の報告は、浅田正・阿久津富夫・Jean DIJON (France)・堀江卓二・伊舎堂弘・岩崎徹・神崎一郎・熊森照明・廬景猷・南政次・宮崎勲・中島守正・中島孝・Regis NEEL(France)・柴田恵司・白尾元理・湧 川哲雄の各氏から送られている。また、R NEEL氏(France)ほかの各氏から期間外の追加報告が寄せられている。

From CMO#058 七月後半はSolis Lの南中から西回りにSyrtis Mj.辺りまでが観測出来た。此の期間、視直径は15秒から17秒角に増加した。Lsは234゚から244゚へと変化し、季節は南半球の初夏となり南極冠の融解も進んできた。Novus Monsが視野に入り各氏の追跡がある。南極冠との間の亀裂が観測されているが、分離はまだしていない状況だった。暗色模様の注目点はM Erythraeumの東部の濃化が観測された事で、東端カーブして S Meridianiと繋がっていた。濃化したM Serpentisとの関連も示唆されている。

 八月前半はSyrtis Mj.の朝方からM.Cimmerium・M.Sirenum辺りまでが視野に入った。Hellasは地肌を見せていて、Zea Lが中央にとらえられた。また、Syrtis Mj.東方の様子と、Nepenthes風の暗条についての見解がある。 M TyrrhenumからM. Sirenumにかけては模式図を示されて現況が解説されている。その他、南極冠・南高緯度の様子も述べられている。

x  CMO#057のコラム記事には「六月黄雲の顛末」と題して、六月にHellasで発生した黄雲の発展の様子が、ALPOの記事などを引用して解説されている。「六月13日にHellasに見られた黄雲の萌芽が15日にバーストして、16・17日にはHesperiaを横切り東北方へ流出したが、21日は既に沈静化していて大黄雲には至らなかった」というのが概略である。東洋で六月17日にNoachis辺りが観測出来るようになったときに、Argyreが明るくなっているのが観測されたが、Hellasの黄雲は西進していなかった。の後のArgyreの活動も発展しなかった。ただ、M Serpentisが濃化・復活したのが捉えられている。前回のCMO#055のOAA MARS SECTIONにこの時の観測のレポートがある。

 CMO#058には「最接近後の火星の動態(上)」として、九月22日の最接近後の火星面の様子がグリッド図入りで解説されている。南極冠最終時期の310゚Lsに達するのは十一月中旬で、視直径はまだ15秒角あり、南極冠の残滓が観測出来る希有の機会であるとされている。衝後は朝方が観測出来るようになるわけで、まだ観測は続けられる。翌年年初でも視直径は9秒角台で、東矩になるのは1989年一月12日の事であった。

(Mk) 村上昌己