tya35

10 Years Ago (35) (Japanese)
-CMO #055 (10 July 1988) & #056 (25 July 1988)-

From CMO#055

 1988年七月には火星は「うお座」に入り、八月末の留に向け順行を続けていた。出も夜半前になり観測時間も伸びてきていた。視直径も七月中旬には15秒角に達して、光度もマイナス1等と明るくなり、輝星の少ない朝方の星座の中で目立っていた事と思う。この年の梅雨は、台湾では六月半ばに明けて、臺北の南氏は観測日数を伸ばしていた。国内でも七月上旬には沖縄・九州でも明けたと見えて、該当地域各氏の観測日数が多くなっている。火星の季節も七月中旬には 235゚Ls に達して南半球の初夏という時期になっていた。

 『火星通信』#055・#056は、南氏が臺北滞在中のこともあってか、短い編集で OAA MARS SECTION だけになっている。 #055の編集後記には、南氏の臺北での短い近況と、今回の黄雲発生などのような緊急時に備えて、「電話緊急連絡網」の構築の提案がある。

 OAA MARS SECTIONには、六月後半と七月前半の観測報告が纏められている。この期間の報告は、浅田正・阿久津富夫・長谷川久也・堀江卓二・伊舎堂弘・岩崎徹・熊森照明・廬景猷・松本直弥・南政次・宮崎勲・柴田恵司・湧川哲雄の各氏からあった。また、R Neel氏(France)をはじめ各氏から期間外の追加報告も多数寄せられている。

 此の期間の観測中心は #054に「速報」として伝えられた、パーカー氏からの情報によるNoachis黄雲の追跡だった。六月中旬過ぎには、Noachis が東洋からの視野に入ってきて観測出来るようになったが、Noachisの西側にかけては大きな異常はなく、既に黄雲現象は収束していた。しかし影響は残っていて、Argyreの明るさと、淡化していた M Serpentis の濃化が次々に観測された。遅れて視野に入ってきたHellasも塵雲で明るくなっているのが観測されている。その後六月下旬迄には黄雲の影響も沈静化して異常は認められなくなった。今回の黄雲追跡では多数の観測が寄せられたが、特に沖縄の湧川氏が天候にも恵まれ、TP写真(25cm spec, F/260)で良い観測を残されている。

 七月に入って、M Tyrrhenum・M.Cimmerium・M.Sirenum・Solis Lと視野に入ってきたが大きな異常は認められなかった。
 南極冠は内部に陰りやriftが観測されていて、融解が進んでいる様子だった。Novus Monsは既に分離しているのではないかと判断されている。
 中旬になっては「例の黄雲から一周したが、大過ないような風景である。」と記事が締めくくられている。

  (Mk) 村上昌己