十年前の1988年六月には火星は「みずがめ座」に移り順行を続けていた。五月末日の「西矩」を過ぎ、視直径も10秒角に達して手応えのある大きさになり、詳細が捉えられ始めている。火星の季節も六月下旬には 220゜Ls に達して、南半球の黄雲発生の季節が近付いていた。
OAA MARS SECTIONには、五月下旬と六月上旬の報告が纏められている。この期間の報告は、阿久津富夫(Ak,写真)・石橋力(Is,写真)・岩崎徹(Iw) ・熊森照明(Km,画/写真)・南政次(Mn)・宮崎勲(My)・中島孝(Nj)・湧川哲雄(Wk,写真)の各氏から寄せられた。Is(写真)・松本直弥(Mt,写真)・長谷 川久也(Hs)・Wk(写真)の各氏から期間外の追加報告もあった。
Mn氏は六月1日には1986年に継いで臺北へ渡り、圓山天文台での観測を始められた。渡航前後のお忙しさもあってか今回は両号とも短い内容になっている。#054には「速報」として、六月15日に黄雲の発生が、アメリカで観測されたことがアナウンスされている。これはドナルド・パーカー氏からの大津の留守宅への電話連絡が臺北に転電されたもので、Noachis から Hesperia にかけて大きな黄雲が観測されたというものだった。当時、東洋からは観測不可能な火星面の位置で、直ぐには観測出来なかった。七月にかけて次第に見えるようになってくる状況で、今後の黄雲の追跡観測を強く喚起されている。実際にはこの黄雲は速く拡散したようである。
火星面は196゜Ls〜215゜Lsにかけての季節で、Syrtis Mjの夕方から東回りに S Meridianiの夕方までが観測された。北半球には110゜Wから160゜Wにかけて斜めに横たわる顕著な暗帯が観測されている。S Sabaeusは、西端の淡化した1986年と同じ様子だった。Solis Lは南中すると火星面の真ン中に見える傾きで、周囲の様子も垣間見えていた様である。南半球高緯度の様子が捉えられるようになってきた。南極冠はやや縮小して来ていて、Mn氏は早速六月3日に臺北で極冠内部に亀裂のような見事な陰影を認めている。これはその後、Iw氏やWk氏など日本側の観測者によっても捉えられている様だ。
#053には「お詫びと御挨拶」と題するコラムが掲載され、Mn氏の臺北への到着直後のお疲れの様子等が記されている。Mn氏は今回は約六ヶ月の滞在予定とのことである。編集後記によると#053の原稿は既に臺北での作業である。来信は、岩崎徹氏の短い一通が掲載されているだけである。
(Mk) 村上昌己